6月20日記念日
10年前の今日、私は脳内出血で倒れた。47歳、働き盛りだった。
意識を取り戻すと、脚が麻痺していた。歩けなくなっており車椅子を使用しなくてはならない体となった。友人や同僚が見舞いに来てくれたが屈辱を感じた。「大変ですね」「がんばってください」と声をかけられても素直に受け取れなかった。勤め人としての屈託をもった。
退院して山の家に戻った。その1年前に新居をもったばかりだったが嬉しくはなかった。
早く回復したかった。リハビリのため山歩きをはじめた。比叡山千日回峰ではないが、
がむしゃらに大磯山脈の峯々をめぐった。山を登るより下るのに難儀した。時々転んだ。
倒れた先にススキが揺れていた。その向こうに夕陽があかあかと燃えていた。
俳句をひねることにした。広島にいた頃、尾道で行われた吟行で山口誓子一行を迎えたことがある。その縁で、誓子一門の「ぐろっけ」という結社に入門して、手ほどきを受けることにした。
頭でっかちの句ばかり作った。草城、草田男、波郷、秋桜子らの句を読み、これぐらいと
傲慢にも思った。ものを知らない田舎者の根性だ。振り返るだに恐ろしい。
不満がないわけではないが、リハビリ中は俳句に専念した。医者から、職場復帰の許可がでた。戻ると、そこには私の居場所がなかった。憤懣やるかたない。
その年も押し迫った頃、ニューヨーク出張の話が舞い込んだ。1年前に制作した私のドキュメンタリーがエミー賞にノミネートされたのだ。気晴らしに行くことにした。
ニューヨーク6番街、ヒルトンホテルの会場は華やかだった。スクリーンで見たことのあるハリウッドの俳優がサイドバーにいた。ABC,フォックス、CBS,BBCなど放送局の重役やGE,ソニーなど大手企業のエグゼクティブたちが会場であいさつを交わしていた。
さすがは国際的な賞の会場だと驚いた。この日の総合司会はシェークスピア俳優のピーター・ユスチノフだった。
ヒルトン・ニューヨーク
式が始まってまもなく、私が応募している部門の発表となり、女性のアナウンスで「・・・・
ジャパン」と声がかかった。一緒に出席した支局のプロデューサーが私の脇をつついた。まわりから拍手が起こり、私にスポットライトがあたる。私は呆然と立ち上がった――。
この受賞は私にとって大きなギフトだった。これがもしなかったら、私はあれほど早く後遺症から立ち直れなかったろう。
帰国後、私の担当の仕事が変わった。新しい場で、もう一度やり直そうと決意した。
このブログのタイトルは「定年再出発」だが、私は10年前にも再出発していたのだ。忘れていた。では、このブログは正確には「定年再々出発」というべきか。
人生は何度も、やり直しがきく。
梅雨の晴れ間の佳き日に
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