生前の意思
今朝、最寄の郵便局から日本尊厳死協会に入会申込書を送った。これで安心して「老後」に向かいあえる。
まさかの時に至っても延命治療はしてほしくないという「生前の意思」を明らかにしたのだ。英語でliving will。前から望んでいたが、それを公に表明するという手続きが面倒に思えて伸ばしていたが、思うところあって、先週協会に問い合わせて申込書を入手し、今朝必要項目を記入のうえ、年会費を同封して再び協会に送った。
人生80歳の時代に私らはいる。長生きすることが必ずしもめでたいというわけではないという現実例に遭遇することも少なくない。認知症になった、寝たきりになった、家族が崩壊した、病の痛みが耐えがたい、など間近で聞く悲惨な例は近年増えている。
2年前、胃がんになって10日入院したことがあった。ほとほと体をコントロールできない辛さを味わうことになった。寝返りすら自分でうてないのだ。介護を受けるときは、幼児語で、「ダイジョウブですよ」と諭される。屈辱ではないか。
そんな片意地を張らず、言われたとおりに行動し、いつもにこにこして周りから可愛がられる年寄りにならなくてはと、テレビのなかの専門家が語るのを見て、憎悪した。
1年ほど前、胃ろうの弊害について話題になり、私も初めて病者の栄養補給の仕組みというものを知ったとき大きな衝撃を受けた。咀嚼できないような状態になっても人は生きていける仕組みがあるということ。本来死すべき命が人造で生かされるというのだ。そんな理不尽なことがあるか。Dying will=死すべき意思だって保障されてしかるべきではないか。
「君、胃がんになったんだって、よかったね」と知人から言われたとききょとんとしてしまった。延命措置をとらないならば癌は確実に死ねるのだと長く医療に従事した知人は教えてくれた。無為に生かされることほど辛いものはないよとぼそっとその人は言った。
来週には、尊厳死協会から会員証が届くはずだ。必ず身につけておくようにしよう。もしものときに「私の意思」がどこにあるかを、第3者でも分かるようにするために。
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