未亡人という言葉は、いまやマスコミでも使われない言葉となった。
夫が死んでも未だずうずうしく亡くならない人という意味だから。
不適当という考え方だ。
なるほど、そう見られる未亡人その人はたまらないだろうから、それぐらい
の配慮はあってしかるべきかと理解はする。だが一方この言葉が長い間
背負ってきたイメージ、ニュアンスが伝えにくいという問題もあるなと、私は悩む。
私は中学2年のとき担任の先生を癌で亡くした。宮本円先生というその人は
結婚したばかりの若いはつらつとした先生だった。演劇部の顧問をしていたので
私をラジオドラマに誘ったことがある。おそらくおしゃべりな私なら向いていると
でも考えたのだろう。一度だけ出て、あとは真っ平と拒んだ。先生は悲しそうだった。
あるとき先生は病気で休んだ。二,三日かと思っていたら十日ほどとなった。
そのうち遠くの町の大学病院へ入ったと聞いた。病気が重いようだからクラスの
代表がお見舞いに行くことになったときも、つまらない言い訳をして私は辞退した。
見舞いから帰ってきたら、代表は「先生、ものすごく痩せていたわ」と報告した。
――半年後、先生は死んだ。
先生の実家は1500年以上続く由緒ある神社だったので、葬儀は神式だった。
榊の葉を生徒一人一人が捧げた。霊前に進み出たとき、先生の奥様を初めて見た。
背が高くハンサムな先生にお似合いの若く美しい「未亡人」だった。
突然の早い死だったので二人の間に子供もなく、その人は青ざめた顔で哀しみを必死でこらえていた。立ち上がるとスラリとした体形で黒の喪服がよく合っていた。ミスユニバースの児島たか子に似ていた。
未亡人という言葉は、この出来事を私に想起させる。
先生が私に示してくれた好意をきちんと受け止めないまま、先生と別れてしまったことへの後悔と申し訳なさが入り混じった感情が、この言葉を見るたびに思いだす。あの
若く美しかった、先生の奥さんの姿が目に浮かぶとともに。
先生の墓はない。先生の霊は神社の奥にある一本の木に眠っていると、教頭から聞いた。
敦賀半島の中ほど、常宮の森に先生は今もおられるのだ。
この海をまたいで正面に常宮がある。その神社には渡来したといわれる朝鮮鐘がある。
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