前立腺と面影と
目白遊俳倶楽部の9月号が届いた。かれこれ1年近くこの句会に私は出席していない。
というのも今年度に入る直前から猛烈に仕事が増え、つい目先の業務をこなすに追われたため、作句する機会がおおいに減り、つい月例の句会へも足が遠のいた。
こんなことでは駄目だということは十分知ってはいるが、なかなか句作りの実行まで心が躍らない。かつてあれほど毎月新しい句をひねることが楽しくてならないという日々があったなぞということは夢のまた夢だ。
私をその倶楽部に導いてくれたのが、オフィスの先輩でもある猫翁だ。現役のディレクター時代はロックミュージックを日本へ導入し、日本のロックシーンでもその名前を残すほど型破りの番組を次々に作ってきた人物。彼の「晩節」の頃、私は仕事で机を並べるようになり、親しく口をきくようになった。その頃になると、「奥の細道紀行」などという畑違いのドキュメントを作るなど猫翁は日本回帰していて不思議だなあと思っていたら、芭蕉、蕪村の句を時折口にするようになり、そのうち自分でも作るほうへと足を向けていった(ようだ)。
後から聞くと、突然日本回帰したのではなく、ずいぶん前から俳句という芸術形式に心惹かれていたという。
その猫翁に導かれて、二六斎宗匠が主宰する目白遊俳倶楽部の句会にせっせと3年余り通った。当時、会にはぽんた、一甫、風悟、猫翁といった個性の強い同人が犇めいており、なかなか刺激的な会だった。
ところが、昨年の後半から一甫、風悟、が病で倒れ、今また猫翁も病と闘う身となり、月例会に毎度出席することも難しくなった。前立腺を病んでいる。私も前立腺の肥大で悩んでいて同病といえるだろう。あのラジカルで元気な猫翁が床につくようになったかと思うと、言葉を失ってしまう。
その猫翁の句が今月届いた機関誌に掲載されていた。選から漏れていたが、私には心に沁みる句に思えた。
ふと妻に母が重なり南瓜汁
古稀が近づく年齢となればなるほど、失われた母の声や仕草が甦って、吾人にまとわりついて離れない。どうやら母性というのは個性でなく普遍であるらしい。子を思う母の心のようなものが、遺された子供の心に刻まれていくようだ。これをマザコンだと言って揶揄する者は豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ。
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