カッテイング
映像編集することを英訳するとcutting(カッテイング)となる。Edittingではない。
その映像編集に関するドキュメンタリー「カッテイング・エッジ」を見た。ハリウッドの錚々たる監督や編集パーソンが登場する作品だ。例えばスピルバーグ、タランティーノ、スコセッシという巨匠と並んで仕事をしてきた編集マン、編集ウーマンたちがその技術の一端を、そのドキュメントのなかで打ち明けている。
そのひとりロブ・コーエンが含蓄のあることをもらしている。
「誰だってみな自分の人生をカッテイング(編集)したいと思っている。だって人生の悪い箇所はカットしたいし、好い点は長く伸ばしたいじゃないか」
たしかにそうだ。人生の大半は“退屈な”場面ばかり、劇的なことなどほとんどない。感動的な人生に遷し変えたいと願うことはたびたびあった。
これまでで一番人生が長く感じたときって何時だろう。
小学校5年生の夏休みの終わり、ちょうど今時分だったと思い当たった。夏の行事や旅行の予定も終わり、夏休みの自由研究が中途半端な結末しか出ていなかった時期、午前中の時間がえらく長く感じられたことがあった。1秒1秒が大きな時計の針の緩慢な動きにしか見えなかったことを思い出す。
では、もっとも人生の流れが激流になったのは何時だろう。
―1995年の11月、ニューヨークヒルトンの廊下を歩いていたときのことだ、はっきり覚えている。足が宙にあって地につかない、ふわふわと浮いていた。最前、バンケットホールで催されたエミー賞授賞式の会場のことが夢のように思い出され、まだ自分がグランプリを獲得したということが実感できなかった。それでも、この事実を日本にいる家人に国際電話で伝えようとホテルの自室に向かって歩いているときの高揚だ。この至福の時間が永久に続いてほしいと願った。
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