人生の帰り道
明け方に見た夢はせつないような悲しいような、色あせたセピアなものだった。
今はもうそういう慣行もなくなったが、かつて職場の交流を図るということで、年に一度課員一同で親睦旅行に出かけたものだ。東京で勤務していれば、熱海か箱根の保養所で一泊するという週末コースが多かった。そんなときは三三五五に現地へ集合し、温泉で体を休めたあと宴会に臨んだ。一晩、飲んで歌ったあと、翌朝、またそれぞれの車や電車組に分かれて帰ったものだ。
この別れていく朝の光景を夢に見た。「じゃ、またね」「明日、また職場で」と声をかけあって車に乗り込んでいく。新緑の箱根路を、それぞれの車が駆け下りていく。なんだかさっぱりしたような、名残惜しいような時間が流れていた・・・。
考えてみれば、65歳の私も人生の帰り道に立っているようなものだ。行くときは勢いこんで全速力で走りこんでは来たものの、帰り道はギアをロウに入れてゆっくりと山道を下っている。出会う人も少なくなり、考えることも減るような境遇。
と思っていたが、最近の私はどうも違う。
「定年したのなら、少し手伝ってよ」と声がかかって引き受けた仕事は、現役時代相当の仕事量になった。あまりの多忙さになかなか顧みることができないが、ふと明け方に夢を見るのは、宴会の翌日の帰り道の風景。
芭蕉の「夢は枯野をかけめぐる」ような末期の風景ではないが、なんだか人が絶えた寂しい風景が浮かび上がって来る。どうも忙しくやっていても、心の奥底は乾いているらしい。
現役の多忙とは違う寂しさが底から湧いてくる。
♪今日は汝を眺むる終わりの日なり 思えば涙膝を浸す さらば故郷
と、「故郷を離るる歌」をいつのまにか口ずさんでいることに気づく。
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