入梅の頃、どくだみは白十字の花をつける
梅雨入り
6月11日早朝、雲がどんよりと空を蓋っている。
気象庁は昨日関東甲信地方の梅雨入りを宣言した。昨年と違って涼しい。
表現するということは難しいものだ。このブログを始めて5ヶ月余り。記事の数も
180に近づいた。最初は書きたいことが山ほどあった。30年来映像表現に専念してきて、文章で表すことなんてほんの少しの機会しかもたなかったので、胸の
うちにたまった澱のようなものを、一切合財吐き出したいという心境だったのだ。
ところが、100件に近づいた頃から様子が違った。
映像と違って文章は何の規制も受けず、好きなことを書けるだろうというつもりでいたが、
そうではないことに思い至った。
何が私にブレーキをかけたか。何が私を規制するのか。
――読者を意識することだろう。ささやかなこのブログにも読んでくださる人が日に100ほどいられるとすれば、自己満足で自己中心の文章では伝達できない。そういう思いに私は追い込まれていく。
読者としての私とて、独りよがりの文章に逢うとつい舌打ちしたくなる。作者が一人合点して、状況が不明な描写や理解できない心境が提出されると、読みはそこで止まってしまう。
そういう読者の存在を考慮すると、今書いている文章はその「他者性」に応じているのだろうかと私に反省を求めるのだ。
不思議だ。何のルールもなく誰からも干渉されるわけでなく自らの欲望で行う記述行為ですら、書き手の内面に「倫理」のようなものが湧いてくるということ。
先日、関西で小学生が線路に置石をしたとして警察に補導をうけたと、新聞が報じていた。帰宅したときの少女の様子がおかしいと感じた母親が問いただして、「犯行」の始終が発覚したという。この少女が罪をおかしたときから、内に突き上げるようなものが湧いてきたのだろう。黙っていれば誰も知らないことを、自分の身体が白状していたのだ。
少女には事実を隠したいという欲求と一方で自分を処罰したいという「倫理」が、すさまじい戦いを展開していたと、私は思う。少女が見せたおかしい様子という言葉に、私は鋭く反応した。
乱暴な論かもしれないが、私の「倫理」もそれによく似ていると感じるのだが。
がくあじさいは梅雨の花
庭下駄にぽつぽつ雨が降ってきた
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