とんでもない人がなにげない所に
古来、表舞台から退いて生きる賢人を隠者と呼んで敬ってきた。
深山幽谷に庵を結んで仙人のように生きる隠者もいるが、大隠と呼ばれる人は
市中に住むと言われる。
私の50有余年の人生でも、大隠だなあと思える人物に3人ほど会った。
一人は編集者で評論家のK保覚。この人からチェ・スンヒを始めとする朝鮮文化について
目を向けてもらった。ベンヤミンや花田清輝を教えられた。
二人目はディレクターの先輩であり名プロデューサーのK藤敏樹。この人から美空ひばりの重要性を指摘され、被爆者の意味を教えられた。
二人とも60前後の「若さ」で没した。
三人目は、今も存命の方だ。といっても20年以上会っていない。
美術評論家のN山公男だ。N山さんは大阪島之内で生まれ育った。高校は旧制新潟高校だったと思う。そこで作家の丸谷才一と同窓だったはずだ。東大へ進んだ後、美術評論を志した。大阪で開かれた万国博での活躍は伝説化している。世界中から名画を集めて素晴らしい美術館を立ち上げた。2度とできないと言われた企画だ。
N山さんの絵の見方は岩波ジュニアブックス「絵の前に立って」を読めば分る。やさしい表現で味読に値する本だ。
N山さんと始めてあったとき、杖をつき山羊ひげをはやしたまさに仙人のような風情だった。今思うと、今の私とニタカヨタカの年齢だったはずだが、そう思えないほど老成した
雰囲気だった。スキーで大事故に遭って、以来杖を離すことができなくなったそうだ。
小柄で嵩を感じない人だった。
代官山のアパートには、当時なかなか入手が難しいと思われる高価な西洋の画集が所狭しと積まれていた。 まだ日本ではポピュラーでなかったフェルメールやラ・トゥールの絵を分りやすく教えてくれた。まったくえらぶるところのない人だった。
「空想美術館」というこども番組でお付き合い願ったのだが、それが終わって関わりもなくなった。
その後、N山さんの新しい著作が出るたびに購入した。小沢書店の丁寧に作られた本を
私は愛した。むろん、N山さんの文章は味わいが深く、読むものを陶然とさせるものであった。
普段は杖をついてヨボヨボしているが、実は毎週スポーツジムに通っていてからだを鍛えているという噂を聞いた。上半身は見事なくらいビルトアップしている、という。
マージャンがめっぽう強い。新宿の雀荘へ一人で出かける。フラリと入って、その道のプロたちと対戦する。カモが来たと喜んだ連中は結局泣きをみることになる、と言われるほどの強豪だ。
大阪島之内というのは、船場あたりの檀那衆の住む町だ。そこで育ったN山さんは大変なグルメでワイン通だ。
例の骨折したスキーも、素晴らしい技術を駆使して、最悪の事態を回避したと言われる。きわめて高い身体性をもつのだが、けしてそれを見せない。
以上のことは、周辺の人から聞いた話で真偽を確かめたことはない。でも、きっとそうだろうと、私は信じる。とんでもないところで、N山さんの名を見出す事があるのだ。先日も野坂昭如を読んでいたらあった。言外に野坂が畏怖というか敬愛していることを感じた。
世の中には、何気ないところにとんでもない人物がいるものだ。
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