少年時代の墓碑銘
会社を休んで大磯の家にいた。
午後おそく、ツヴァイクの道を下って町まで出かけた。山道から遠く江ノ島が
見えた。車の騒音もなく、山中鳥の声しきり。若葉風が吹く
散歩をすると、いろいろな発見をする。
10年前、この山へ来るまで造化のことは考えたこともなかった。
芭蕉を読みかじるようになると、造化が少し気になったのである。
造化とは天地、自然のことを表す。英語のネーチャーのようなものかなあ。
季節の移ろい、風の行方、鳥の声、開花落花、飛雲流水‥。
今日も散歩しながら造化の玄妙さを、味わうこととなる。

夏草の丈が高くなっていた。

名も知らないが、木の白く優雅な花が盛りであった。

蛍袋が咲いていた。いかにも「ホタルが寝んね、する」だ。

あじさいの花が次第に大きくなっている。まもなく梅雨が来る。

ふれあい会館の脇に桑の木があった。気がつかなかった。今日、実がたくさん落ちていて、道を黒く汚しているのを見て、その木が桑と気がついた。桑いちごとも言う。
枝に残った実をいくつか摘まんで口に含んだらまだ酸っぱかった。
桑の実の落ちてにじみぬ石の上 佐藤様人
平日に歩き回るとどこか後ろめたい気分になる。子供の頃、学校へ遅刻して行く途中、学校へ着くまでの居心地が悪かったが、ほぼ、それと同じ。
国道沿いの蕎麦屋に入ってあんかけうどんを食す。置き付けのスポーツ新聞を開いたら、
訃報欄に音楽会社の社長の名があり、漣健児の名で訳詞をやっていたと紹介されていた。
懐かしい名だ。私が中学生の頃流行った、外国の歌謡曲(変な表現かもしれないが、ポップスという感じではなかった)の訳詞者として、その名をよく目にした。漣の代表作は「可愛いベイビー」だと報じていた。
あの頃、口の悪い評論家は歌なんて魚三匹に家三軒で出来ると言っていた。
「ウォー、ウォー、ウォー、・・イェ、イェ、イェ」
この口調で名作はやはり「悲しき片思い」だろう。
「夢の中のデート」とか「ネィビーブルー」「ボーイハント」「GIブルース」「ダンケシェーン」「ルイジアナママ」
これらの歌はなんで覚えたのかな。レコード屋へよく通ったが買うことはめったに
なかったし、ラジオはNHK以外クリアに聞こえなかったし、やはりシャボン玉ホリデー
だったかな。今でも「スターダスト」が流れてくると、体が反応する。

そうだ。あの頃歌と並んで熱狂したのがプロレスだ。金曜日夜8時。
三菱電機の提供で日本プロレスの中継があった。ブラッシー戦は翌日まで興奮があった。八百長論議なんてくそ食らえだった。6年前まで毎週「週プロ」を購読していた。職場研修でも
ボディシザーズやキャメルクラッチなどというプロレス技を例にして教えるぐらいフリークだった。
事情があって、5年前ぷっつり止めた。それでも2年前、力道山の番組を制作したときは
力が入った。
彼の名勝負4つを軸に構成したのだ。シャープ兄弟戦、木村政雄戦、ルー・テーズ戦、そして
デストロイヤー戦である。タイトルは「比類なきリングの輝き」とした。
私の幸福な少年時代の墓碑銘の一つとなる。
今、取材中の「植木等」もシャボン玉を組み込めば、また銘が増えることになる。がんばろう。
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