春が来る道
ああ春だ、春だ。こぶしの白が目につく頃は寒さがあったが、桜のピンクが終わり、やまぶきの黄色が目にしみるようになると春だ。
ようやく春が来たのだなと実感する。
1月生まれだから冬が好きだし寒さが好きなのだが、今年は春が待ちどおしかった。やはり寒さが身にこたえるようになっていたのだ。
1966年の春を覚えている。大学入学が決まって、下宿も決まった。入学式の1日前に、母とふたりで金沢へ出た。
大手町の下宿に挨拶をして、田舎へ帰っていく母をバス停まで送って行く。
バスが来た。母が乗り込むのを見届けて私はきびすを返して、友だちの家に向かった。
このときのことを晩年の母はくりかえし語った。
「あんた、冷たい息子やなあ。うちがバスのなかからあんたを見ているのに、さっさと行ってもうた。あのとき涙が止まらんかったで・・・」
当時、加山雄三の歌が流行っていてギターの弾き語りすることに夢中になっていた。早く友だちの部屋に行ってギターを手にとりたかった。覚えたばかりのコード進行をたしかめたいと気持ちが逸っていたから、母のことを後回しにしていた。親と離れて暮らすことができる解放感が心を浮き立たせていたのだろう。息子と初めて離れて暮らすことにせつない思いをしている母のことなど気がつきもしない。
この年になって、母の気持ちを思うと申し訳ない気がする。
なにより、4年ほど前、母が元気だった頃のことを思い出す。京都の大学で授業を終えて、敦賀へ回り、週末の2日間母といっしょに過ごした時間だ。夜になると、座敷の襖を開け放して広間に布団を敷いて寝た。一人暮らしでいつも緊張しているせいか、私がそばに寝ていると母はいびきをかいた。その寝しなに、母は昔話をよくした。そのおりに出て来るのが1966年春のことだった。語る表情が柔らかだったことを今になって思い出している。
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