仕事中毒のまま、新しいほうへ
3月から新しい仕事の仕方に変わったにもかかわらず、毎度同じ勤務を繰り返している。
週のうち3日ないし4日ほど出てきて、年間20本弱ほどの番組をプロデュースする契約になっているのだが、ほぼ毎日出社している。そうしないと、番組の制作計画が立たないのだ。今は6月7月の予定を画策している。授業の講師を決めるだけでも2週間はかかる。さらに学校の協力をとりつけ、授業案をリサーチしているとあっというまに4週間かかってしまう。つまり一ヶ月かかる。ひとりを決めるのにこれほどかかるのだ、2か月分4人を決めるとなると、時間はいくらあっても足らない。
多忙だから辛いかというと、そうではない。仕事があふれてくる状態になったほうが、愚痴をいいながら生き生きしてくる。番組が一本だけしこしこ作るより、2,3本平行して動いているほうが楽しい。毎日、ほぼ昔と変わらない時刻に出社して、18時過ぎまで仕事をする。合間に、講師候補の人物の取材を重ねる。タクシー利用はほとんどないから、地下鉄の長くて深い階段を上がったり降りたり。
加えて、来週から2つの大学で講義が始まる。だいたいの準備はすませたが、何かものたりない。映像メディアの研究といいながら、考察の視野に入っていないメディアがある。ゲームだ。
まったくゲームをやらない。昔、インベーダーゲームが始まった頃、やらないかと誘われたがまったく関心がなかった。昔から将棋、トランプ、花札というのは苦手だしすぐ飽きてしまう。そういうこともあって、電子ゲームが出現発達してもまったく見てこなかった。そのゲームの映像の組み立てが、最近よく番組つくりの現場で話題になることが多くなった。そこで飛び交う用語はまったく私にはチンぷんカン。
これではいけない。少し勉強するかと思っても、一から教えてくれるような人物もおらず、やや途方にくれている。
2つ見た番組が氣になっている。昨夜放送された「プロフェッショナル」と日曜日放送のNHKスペシャル『魂の旋律~音を失った作曲家~』。
前者はまったくなっていない。微温的な形だけの物語。最後のタイトルで、ディレクターは知人だということを知る。ショックだった。
後者は評価が分からない。もともとクラシック音楽への造詣はないから、音楽性についての意見などもたないのだが、彼の生き方というのが理解できない。眼が不自由で、耳が聴こえなくなり耳鳴りが終日しているという。想像できないほど過酷な状況を生きている「作曲家」。被爆2世という情報が付加される。彼を襲う障害がいかにも原子爆弾と関係がありそうな、思わせぶりな情報。しかし、それとて何も意味のある答えを導かない。
少なくとも、この番組は沢木耕太郎のキャパのドキュメントより数段深いものがあると直感させるのだが、何がすごいのか評価できないことに、自分自身に苛立ってしまう。
主人公と被災地の少女はどうやって結びついたのか・・・。
雑音のなかに埋もれている音を引っ張り出す彼の作曲法は記憶ということにつよく結びついているという。その記憶というのは、健常だった少年時代までの音の記憶か。それとも彼の生も超えた類としての存在の記憶か。
なぜ、これほどの才能が今まで脚光を浴びなかったのか。なぜ今年になって注目されるのか。
友人の永田くんはこの番組を3回見たという。何をたしかめようとしたのか。そして、結論を得たのか。彼は何も語っていないから、余計に氣になる。
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