昨夜、竹橋の国立近代美術館で行われた、「大江健三郎さんによるフランシス・ベーコン展覧会の鑑賞」のロケに立ち会った。半年ぶりに大江さんとお会いしたが、元気そうに見えたが、どことなく疲れているようにも思えた。ところが、実際の収録は1時間半ぶっとおしで作品論を語り続けたのだから、ベーコンに対する思い入れは半端でない。30年前、1983年に日本で開かれたベーコン展に偶然遭遇して以来、大江さんにとってこの画家は最重要の存在となった。
恥ずかしながら、この画家の仕事はほとんど知らなかった。2時間におよぶ撮影の間、私は作品を一点一点じっくり見た。仰天した。ベーコンの、悪夢のような不吉な画面は私の心をわしづかみにした。「叫ぶ教皇の頭部のための習作」は、まさに叫び声というものはこういうものだと腑に落ちる作品。震撼のあまり不分明になった顔の表情のなかで、くっきりと大きく開いた口が不気味、奇怪にして、清涼というかスカッとする
。
40点近い作品のなかで、私がもっともひかれたのは「ファン・ゴッホの頭部のための習作」(1957年)だった。自分の耳を切断したり悪口雑言を吐いたりしていたゴッホが、南仏の田園をさまよっていた。周りの森は近世に入って、開発が進み、デーモンな力を失いつつあった。そのなかを彷徨するゴッホ。といってもゴッホらしい形象はない。気配があるのみ。
これを見ながら、西行の「年たけて」の絶唱を思い出した。
昨日収録した大江ベーコンを語るは、今度の日曜日か次の日曜日に日曜美術館で放送される。しっかりチェックしておこう。
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