あらためて昭和
桜を見ていのちを思うと書いたら、「風雅」さんが茨木のリ子の「さくら」という詩のことを教えてくれた。いい詩だ。今年の桜が散る前にこの詩を知ることができて幸せだった。
昨日、寝しなに見た「生さだ」を引きずってしまった。さだまさしのテレビのDJ番組で、昨日は特別豪華なキャスティングだった。加山雄三、南こうせつ、岩崎宏美、坂崎幸之助、橋幸夫など昭和の歌い手たちが続々登場した。少しだけ見て寝ようと思っていたら、生番組の勢いに乗せられて午前2時まで夜更かしすることになった。そして、あらためて昭和という時代を意識した。
私にとって昭和なんて当たり前のことで、今でもそのなかにとっぷり沈んでいる。平成と名前が変わっているが、昭和の続きで、昭和の弟のような時代だと認識しているが、新しい世代にはそうとは見えていないのだということを、はたと気づいた。
4月12日から大学で講義する映像メディア論。今、その準備のノートを作っているが、社会の変動と映像というようなテーマで半年間授業を構築しようと考えていた。大きく社会が変化したとき映像はどんなふうに捉えてきたか、表してきたかということを考察しよう。その例として、昭和が終わった1989年前後のことをとりあげようかなと考えていた。バブルの破綻、美空ひばりや昭和天皇の死、ベルリンの壁崩壊などをとりあげようと考えていた。
だが昨夜の「生さだ」の昭和の歌い手たちを見ていて、これらが今絶滅危惧種になっていきつつあるのかと気づいた。南こうせつがいみじくも指摘していたが、今どき郵便はがきでのコミニュケーションはない、ほとんどメールで済ませる時代になった。道路という道路はすべて舗装された。喫茶店は減りくわえ煙草は消えた。居酒屋に女性客が増えた。その変動ぶりがあらためて私のなかで可視化されたのだ。中村草田男が「明治は遠くなりにけり」と気づいたように、だ。
日曜日の朝の寝床で、足駄を鳴らして歩いたこと、貸本屋でえろい本を盗み読みしたこと、祭の夜店で悪さをしたこと、修学旅行の前夜に眠れなかったこと、花見で田舎の親父がべろんべろんに酔っぱらっていること、そろばん塾に通ったこと、を次々に思い出していた。
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