美空ひばり・命果てる日まで
美空ひばりが亡くなって今年で17年になる。節目ということでしかも命日が近づいていることもあって、最近特集番組が多い。昨夜はNHKで放送され、今夜はテレビ朝日がゴールデンで放送していた。
私も一昨年「美空ひばり・命果てる日まで」を制作したことがある。その時、心に残ったのは「みだれ髪」にまつわる話だった。
昭和62年、ひばりは突然九州の病院に入った。再起不能と噂が流れた。それから半年、病から奇跡的にひばりは復活して活動を再開。復帰第1作として「みだれ髪」を吹き込んだ。作曲は船村徹だ。それから半年後に東京ドームに出場し、その後1年足らずでこの世を去ることになる。
船村徹にインタビュウしたとき、ひばりの3つの歌声を聞き比べてもらった。
レコーディングした時の音源、東京ドームでの絶唱、最後の舞台となった小倉の録音テープ――3つの「みだれ髪」。
再起のレコーディングの声は、入院以前の声より若返っていたと船村は驚く。高音のファルセット(裏声)もきれいにぬけていた。とても大病を患った後とは思えないほど声出ていた。「休んでいても、それを変えて良い方にもってゆく、これも才能なんでしょうね」
それから半年後の東京ドーム公演、ひばりの歌声は激変していた。肉体の限界だったのではないだろうかと船村は危ぶむ。「目一杯でしたね、でもひばりさんだから出来たんですね。普通の人ならこんな状態ではとっくに歌うことを諦めていますよ。」
このドームでは3番までフルコーラス歌ったと私たちが伝えたとき、船村は信じられないという顔をした。
そして小倉の最後のステージ。「もう肉体は消滅して、魂が歌っている気がします。」もはや、ひばりは限界を超えていたのだ。「よくここまで頑張ってやったねえ」と船村はねぎらいの言葉を口にした。
船村はひばりという存在は、百年か二百年に出てくる「神様の贈り物」だと考えている。ひばりを失ったことが十年後二十年後に影響が出ると当時語ったことが今、現実になっている。そう言って船村は唇を噛んだ。
美空ひばりという人は日本という国にどこかの星からやってきて、そしてどこかの星へ帰っていったと、船村徹は懐かしんだ。
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