追われてみたのはいつの日か
最新の韓国映画「火車」を見た。原作は日本の宮部みゆきの名作である。
この原作は近年のミステリーのなかでも群を抜く傑作であることは論をまたない。私も最初手にしたとき夢中で読み、ラストの映像的な「作り」に感動した覚えがある。これまで映画化されなかったのも、小説があまりによく出来ているからではないかと勝手に勘ぐっていた。
それが翻案されてこのたびの韓国映画として封切られた。ツタヤで最新作として1泊2日420円で貸し出しされていたのを、昨夜夕方遅く渋谷に出向いて借りた。期待した。
がっかりだった。ヒロインも探偵役の元刑事も演技力があることは認めるのだが、少なくとも脚本は原作を生かしきっていない。次に映像が5年ほど前の韓国映画に比べてペラいのだ。薄味になったというか、かつて韓国映画がもっていたハングリーなものが画面から消失した。芝居も舞台もあまりに手馴れた「処理」になっている。
せっかくの休日の夜を無駄にしたと、見終わってぷりぷりした。
4月から始める映像論のためにストックしておいた「カッテイング」(映画編集)というドキュメントを口直しに見た。
面白かった。映画編集の歴史をたどる構成は分かりやすく、かつスコセッシやスピルバーグら名うての監督、名編集者らが次々に貴重な証言を提出する。
サスペンスという章で、カーチェイス(車の追いかけっこ)の話が展開する。現代のカーチェイスの“はしり”はマックィーンの「ブリット」。「フレンチコネクション」では卓抜な車の演技を見せてくれた。本ドキュメンタリーでは「ターミネーター2」をとりあげ、暗渠のなかで繰り広げられるダンプとバイクの死闘を見せる。シュワルツネッガーが乗ったバイクをターミネーターの警官が大型ダンプカーで踏み潰そうとするカーチェイスが例として取り上げられる。編集にあたったコンラッド・パフが、人間は遠い昔に追われた経験をもつので、このチェイスのスリルは実感化できる。だからこの感情を味わいたいと実は思っているのだとカーチェイスの本質を喝破する。
まだ人類が文明を持たず、類人猿のような暮らしを送っていたころ、マンモスや肉食動物にいつも追われていた。その体験がDNAに刷り込まれているというのだ。
ここで、ふっと昔から氣になっていた名曲の歌詞がよみがえってくる
♪夕焼けこやけの赤とんぼ おわれて見たのはいつの日か
この歌詞が、ずっと「追われてみたのは、いつの日か」と聞こえてならなかったが、本当の意味は「負われて見たのは、いつの日か」。つまり負ぶわれて、背中の上で見たのはという意味だ。だが、私には追われてみたと聞こえてならなかった。間違いだと思っても、そんな文脈の言葉がどこかにあると長く思っていたら、この「映画編集」を見ていて出会った。なぜか嬉しい。
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