お水送り
ニュースで東大寺のお水取りを報じていたのを見て複雑な思いをもった。
3月13日の夜、東大寺の若狭の井と呼ばれる井戸から水が取り出される。この井戸の水は若狭の遠敷に通じていて、そこから水がやってくると伝えられる。こうして都の人は若狭の水を活力とするわけだ。
この風習を、関西では「お水取り」と称して、春が来たと愛でる。
地元の若狭では水を取るのでなく送るので、お水送りと称している。神無月と同じ考え方だ。神様が出雲に出かけるので、その月は神無月と呼ぶが、地元出雲では全国から神様がやってくるので神有月と称する。
この都中心の発想が今年はひどくひっかかる。
水送り、水取りの例えを電気に置き換えてみたくなる。
福井県、若狭は全国有数の原発立地。原発銀座と呼ばれている。そこで発電される電力はほとんど関西で使われ、地元への還元はごく一部でしかない。この原発にもし事故が起これば地元の滅亡はあっても、恩恵をうけていた都は無傷となるのじゃないか。理不尽だ。ちょうど東京に電力を供給していて、事故のために居住禁止となった福島のようなものだ。
と考えたが、さらに熟考すると一方的に地元のダメージとはならない。風向きによっては関西は滋賀、京都、奈良までずっと放射性物質の汚染を受ける可能性は高いのだ。まるでお水送りお水取りルートと重なるように。
この「お水送り、お水取り」がすむと、春になる。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング