定年再出発 |
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耳鳴りの忌
歌人正田篠枝は35歳のとき、爆心から1.7キロという近距離地点で被爆し必死で逃げた。逃げながら市民が無差別に殺されていく光景を目の当たりにして正田は憤りを抱いた。その時の体験を短歌に表した。 炎なかくぐりぬけきて川に浮く死骸に乗つかり夜の明けを待つ 1947年、アメリカ軍の占領下にあったが、篠枝は原爆の悲惨を詠んだ短歌100首を集めて歌集「さんげ」を編み、密かに出版した。原爆について出版すれば占領軍によって処罰されるという噂が流れるなか、正田はこの歌集を知己や被爆者に配布した。被爆者たちを励ますとともに核兵器に対する激しい抗議でもあった。死刑になってもよいという気持ちで出版したと後に手記で正田は記している。正田篠枝は伝説の人になった。 戦後、正田は被爆の後遺症による貧血に苦しめられる。死ぬまで激しい耳鳴りに彼女はつきまとわられる。 耳鳴りのはげしきわれは耳遠くされど聞こゆる対岸の蝉 さらに過酷な運命が彼女を襲う。 1963年、正田は乳がんのため余命は幾ばくもないと宣告された。ついに寝たり起きたりの生活になってしまった。その正田篠枝の8畳の病室にカメラが据えられたのは、1964年の秋のことだった。正田篠枝の最期の日々の撮影が始まる。 床にふせって耳鳴りに苦しむ姿。原爆犠牲者の冥福を祈って「三十万名号」の念仏を書写しつづける篠枝。そして体の調子がいいときには鏡に向かって髪を梳き、紅をさす正田篠枝の姿。レンズはじっと凝視する。カメラマンは吉野兼司。 ある日、友人が見舞いに訪れる。途中で摘んできたという土筆を篠枝はプレゼントされる。はしゃいで篠枝はその土筆の匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。撮影が始まった時木枯らしが吹いていたのが、季節は変わり、春がめぐって来ていたのだ。 だが、夏が近づくにつれて、正田篠枝は体調を崩す。日に日に弱っていく・・・。 このドキュメンタリーは、ある人生「耳鳴り~ある被爆者の二十年~」という1965年の作品。ディレクターは岩下恒夫。 1964年、岩下恒夫は発表されたばかりの大江健三郎の『ヒロシマノート』を読んで深い感銘を受けた。ディレクターになってまだ2年目の岩下だったが、テレビドキュメンタリーでも人間の声が響く広島のドキュメンタリーを撮りたい、被爆者の常套化された物語でないドキュメンタリーを作ってみたいと考えた。原子雲が冒頭に出て、ケロイドの姿の被爆者が登場するというパターン化した作品でないものを岩下は作ってみたいと願った。折しもローカルのラジオ放送で正田篠枝の存在を知った。 早速、正田篠枝を「ある人生」の企画として提案した。「正田さんの人生を八畳一間の病室で描きたいと考えました。ノミ・クイ・アルキのないドキュメンタリーを作ってみたい」と岩下は企画書に書き込んだ。 こうして、岩下はウゴキの少ないいわゆる画にならない室内ドキュメンタリーに果敢に挑んだ。耳鳴りに耐え、ガンと闘って、一心不乱に写経を続ける正田篠枝の壮絶な日々を岩下は記録(ドキュメント)した。 全国放送「耳鳴り~ある被爆者の二十年」が流れたのは1965年4月25日のことだ。放送からほどなく、20年目の原爆の日を前にした6月半ば、正田篠枝は死んだ。 この番組は、被爆歌人の最後の濃密な時間をよく記録したと高い評価を受ける。 ディレクターの岩下さんは私の部長だった。寡黙で温厚な人柄だった。鹿児島出身と聞いたが、剛毅な面もごくたまに見せたことがある。この「耳鳴り」を20代に作ったと知って尊敬していた。私が広島へ転勤してからも、私の番組を批評する葉書を数通いただいた。ヒューマンドキュメンタリーにひときわ関心をもっていた。 去年暮れ、正田篠枝取材のときの話を聞きたいとインタビューを申し込んだら、末期がんにかかったから体が言うことをきかなくなったといって謝絶された。では、もうすこし陽気がよくなったらと電話を切った。 岩下さんの訃報が昼過ぎ入った。昨日2月11日に逝去されたそうだ。 岩下さん、これまでの御好意とご厚誼に深く感謝します。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2013-02-12 15:27
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Comments(1)
ご卒業おめでとうございます。お疲れ様でした。 今からが 楽しいことでしょう。
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