ラストレター
年賀状をほとんど書かない年となったのは、この1月末で退職の日を迎えるという事が分かっていたから。
横着かもしれないが、退職をしたという報告の「最後の手紙」を作って、長い間交誼していただいた方、お世話になった方、親しくなった仕事仲間にあてて投函しようと考えていたのだ。
これまでの年賀状や住所録などを集めて、送り届ける人たちのリストは作ってあるのだが、肝心のラストレターの文面が出来ていない。
早くしないと退職日からどんどん離れて行く。よし、この週末に書き上げることにしよう。
書くべきことをまず洗い出そう。
22歳で大学を出て、1970年4月に日本放送協会(NHK)に入社。以来、65歳になる2013年までの間、43年間勤務した。
その間に、大阪、東京、長崎、東京、広島、東京と転勤し、NHKエンタープライズに出向して、やがて定年となり、第2の定年としての今回の退職をむかえることとなった。
テレビ番組制作の現場でずっといられたことに感謝する。当初はディレクターとして関わり、23年もプロデューサーを勤めるとは思いもよらなかった。この番組作りの場でこころに残ったことは2つ。ひとつは大江健三郎さんの成熟期に立ち会えたこと。もうひとつは長崎、広島と異動して、被爆という20世紀の主題と遭遇したこと。
仕事人間として走り続けたが、その間に健康上の大きな危機が2つあった。47歳のときに発症した脳内出血。62歳のときに発見された胃癌。前の脳内出血は突然襲われたから、不測の事態もおおいにありえたが、辛うじて生きながらえた。後の胃癌は検診で発見されたから初期で、措置がうまくいって予後も順調。だが加齢により、病はあれこれと発生するに至る。
私生活にあっては結婚して一男一女に恵まれた。仕事にかまけて子育てにはほとんど参加していない。だが親はあっても子は育つ。
息子は私と同業の番組作りに進み、娘は出版の編集者となった。二人ともジャーナリストをめざしてくれたのは嬉しかった。
以上のようなことをもう少し詳しく書くつもりだが、今後のこと、抱負をどう書こうか思案している。
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