啄木の歌集が出て来たよ
本棚の整理をした。読めもしないくせに虚栄で購入したベンヤミン著作集、ギデンやローティの小難しい本などはどんどん奥へ押し込んだ。代わって、蕪村の夜半亭一派の本、吉野弘の詩集、新藤兼人の映画論、小林勇全集などを書棚の前のほうに並べた。
抽斗から見慣れないぼろになった酸性紙の文庫本が出て来た。表紙はなく、誰かの手書きで「啄木歌集」とある。私が買ったおぼえがないので、この本がここにある由来を考えてみた。
母親が死んだとき、両親の遺品を簡単に整理したことがある。そのとき父の本棚にあった
啄木歌集を拝借してきたのだ。今更啄木の本なんて買えないと思っていた矢先に、遺品にあったのでしめしめと狡く思ったことを思い出した。
ところどころに鉛筆で、啄木の短歌のフレーズが書き出してあるのは父の仕業だろう。思いもかけないセンチメンタルな歌に印がついているのは、息子として妙な気になる。
これまで啄木の短歌をまとめて読んだことがないので、本棚整理を中断して読みふけった。
当初、あまい恋心を歌ったような歌が多かったが、後半生に至ると世情の剣呑さ、労働することが報われないことへの苛立ちなどが現れてくる。社会主義への萌芽のようなものが啄木のなかに育まれるようになっていたのだ。
韓国併合が行われたとき啄木は存命していて、その危うさを直観していたという逸事が何かの本に書かれてあったのを思い出した。
今の時代、啄木の頃の危機とは違う位相のそれが身に迫っているような圧迫感がある。啄木の頃とは違う意味の閉塞感が町を覆っている。そんな気がしないか。
今朝はずいぶん冷え込んだはずだが、午後4時、湘南の山々には夕光がさし、古代青の空が雲間からのぞいている。穏やかで美しい冬の空。
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