力作だが
昨日のNスペはフィーチャードキュメンタリーとして見応えのある重厚な作品だった。
文春で12月に発表された沢木耕太郎のロバート・キャパの「運命の一枚」をめぐっての推理ドキュメントだ。キャパの名声をいっきょに高めた、スペイン戦争の兵士の死の瞬間を切り取った写真の謎を見事に読み解いた作品である。
この写真と、そのときに撮られた42枚の写真から、撮影ポイント、撮影者の割り出しを遂行していく過程は圧巻である。
果たして、この写真はキャパによって撮影されたものでなく、当時の彼の恋人ゲルダ・タローの撮影であり、かつこの状景は実戦でなく、演習を撮影したものであろうと沢木は推理していく。このプロセスはまるでミステリーを読むようなスリリングがある。
しかし、この説がもし本当であるとすれば、世界で最も有名な戦争報道写真は「虚偽」であるということになる。さらに作者違いで、キャパの名声に疑問を付すものともなる。これは重大な歴史の「見直し」ともいうべき事件ではないだろうか。
なぜこの作品が実戦でないということ、自分が撮ったのではないということをキャパは語らなかったのかという点を、このドキュメントはゲルダの突然の戦死に理由があるとしている。文学的にそれはおおいにありうるとは思うが、その根拠がきわめて状況証拠でしかない。物証がない。
ゲルダの死がキャパにあまりに大きな衝撃を与えたため、この写真の発表時にはキャパは写真の事実を伝えるという理性を失っていたのではという推論で締めくくられている。この推論は沢木耕太郎によるものだろう。番組上明言してはいないが、この作品が沢木の責任編集となっているうえはそうであると言わざるをえない。
状況証拠として、写真発表の頃にキャパはノルマンジー作戦に参加して、決死の撮影を敢行している行為を挙げている。自分の作品ではない「兵士の死」をそのまま世に送り出したことへの呵責として、彼はノルマンジーで敵の砲弾に背中をさらしたという。
この点に私は違和感をもつ。果たして戦場カメラマンが背中をさらすことがそんなに大きな意味をもつかということだ。
先年、私はベトナム戦争に従軍した戦場カメラマン平敷安常さんのドキュメントを作ったことがある。そこで戦場にあって敵に背をむけてリポートする記者やカメラマンの行為を「スタンダッパー」ということを知った。それは危険で勇気のいる行為だが、平時のわれわれから見るほど悲愴なものでなく戦場カメラマンとしてはひとつのマナーでしかないという事実。
ここから、先のノルマンジーの決死撮影が状況証拠として挙げることに違和感をもったのだ。
もう少し論考を重ねたいが、今から検査入院するため出かけなくてはならない。このあとはベッドの上で考えてみることにしよう。
ちなみに、語りは松重豊さんだったことは嬉しい。先の平敷さんのドキュメントの語りが松重さんだった。なんとなく担当者があの番組を意識していてくれたような気がした。
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