冬晴れの日に
朝8時、瞑想を終えて目を明けると輝く青空。小鳥のさえずりが聞こえる。窓を開けると冷気がさーっと入り込み、硬直していた体を刺激する。生きているという実感ありあり。
65回めの誕生日。不思議な気もする。そんなに長くもいたかなあというのが実感。
敗戦の日本で、世の中貧しく寒い冬だった頃だ。母は私を生む為に大津の実家に帰っていた。23年の1月19日早朝に私は生まれた。誕生したという自動詞ではなく、吉野弘の言うごとく私は生まれた(I WAS BORN)。母方の祖父宇野源次郎にとって最初の孫であったから喜んだと母から聞かされ、また母自身短歌に詠んでもいる。
壱月吉日「為初孫」と父の文字産湯に使ひし盥(たらひ)の底に
祝福されて生まれ出たというだけで感謝である。大津は北陸敦賀と違って陽光うららかで穏やかな朝であったろう。実家の目の前に広がる琵琶湖もきっと波ひとつなかったと思う。
幾星霜。
65歳の誕生月の月末で私の今の職場での資格が終了する。つまり社員ではなくなる。58歳の誕生日から勤めてきた身分はなくなり、請負契約の仕事をする。いよいよ年金生活者となる。
この1、2年大きく変化したのは食欲だ。昼食が昔の半分以下となった。50代は麗郷の焼きそばなどぺろりであったが、今ではパン二切れで十分。一方、晩酌というか、帰りがけに必ず天狗に寄って熱燗を1合飲むくせだけはついた。
先日の転倒騒ぎで、体力の衰えを知った。朝の早歩きというのを春から日課とすべきだと今言い聞かせているのだが。
誕生日というのは自分のことを思うより、自分を生んだ母のこととひとつながりで思うことのほうが多い。
背なの子を揺すりつつ食みし遠き日よ時は流れてひとりの夕餉
ふるさとは今雪だろうか。
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