拝島の人
自分で年賀状を書くのを減らしているくせに、いつもいただく人から来なかったと思ってやきもきする人がいた。
昭島市拝島に住む佐々木利雄さんだ。私が初めて東京へ出て来て、担当をした立川地区の営業担当員の方だ。25歳の私から見ると、定年前のおじいさんだった。関西の人と見受けたが、いつもきちんとした事務処理と律儀な字を書く人で、前職はきっと社会的地位のある人だったのだろうということを偲ばせた。私が団塊の世代と知って、自分の息子も同じで関西の大学を出て金融関係に就職したと、普段の無口とは似合わないおしゃべりを、宴会の席でした記憶がある。
後で知ったのだが、三井三池炭鉱争議のときの有能な活動家だったそうだ。戦いが敗れたあと、上京して一から出直して人生を築かれたのだ。
正月も松の内を過ぎて、佐々木さんに賀状を書いた。今年65歳になって無事定年をむかえると書き添えておいた。
昨日、「佐々木利雄長男」という方から葉書をいただいた。「父は一昨年の9月に92歳の天寿を全うし永眠しました」と書かれてあった。その真面目で自分に厳しい誠実な人柄を思って瞑目した。
そして午前3時半。厠へ立って寝床にもどってみると、佐々木さんのことがしきりに思い出されて眠れなくなった。けっして深い交わりではなかったが、一期一会を得た間柄として、せめて一度だけでも生前にお目にかかって若き日の私を可愛がっていただいたことのお礼を言いたかった。
息子さんの「92歳の天寿を全うし永眠しました」の文言だけが救いである。父上同様のきちんとした字、文言に、息子さんのお父さんへの愛情を知る。きっと長寿の穏やかな晩年を生きられたことだろうと推察して、そのご冥福を心から祈念した。
一度、佐々木さんと拝島線の小さな駅で待ち合わせをしたような気がする。昭和48年頃だったか、今から思えば世の中はまだ貧しかった。多摩の奥はまだ未開発で住宅もまばらだった。駅のホームで佐々木さんを見つけると、物静かな佐々木さんが珍しく大きく手を振って応えていただいたことを思い出す。
立川の時代のことを語る友も今はなく、佐々木さんの思い出をひとり真夜中に抱きしめていること。悲しくもあり、そういう人と巡り会えた仕合せをじっと噛み締めている。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング