転んだ
去年の暮れに家人が雨の日に転んで、以来首の調子がよくない。どうやらむち打ち症になったようだ。年齢を重ねると転びやすくなるし、転ぶことは高齢者にとって大敵だと、このところ自分にも戒めていた。
そこへ来て数日来の大雪で、凍結した雪道ほどアブないものはないと、昨日の朝はきわめて慎重に出勤した。できるだけ雪を踏まない。マンホールやエスカレーターの登り口では細心の注意を払うべしと自分に言い聞かせて、前傾姿勢で歩いた。
出勤はうまくいった。転ぶような危うさはなかった。
オフィスに入ったから気がゆるんだ。連休明けだから、社内もなんとなくまだ弛緩した雰囲気が流れていた。
資料室から借り出していた書籍とアーカイブスの映像を返却に行こうと、両脇にかかえて部屋のドアを出た。廊下には誰もいない。
5、6歩行ったところで、左の靴の先にブレーキがかかったようなひっかかりを感じた。「やばい」と思って体勢を立て直そうとふさがった両手をばたばたしかけたとき、体はそのまま前方にすごいスピードで落ちて行く。(このままでは大怪我をする、早く防御しろ)と危険信号が頭のなかで鳴り響いたが、体が言う事をきかない。最後の瞬間、顔面だけは守らなくてはと、右腕を引き上げて鼻、口を押さえた。バターンと大きな音がして膝を曲げる事なく私は、顔面を床にぶつけた。額がもろに衝突して、「ばちん」という音が頭のなかに響いた。顔を覆った右腕がまともに床とぶちあたって、大きな打撲音がした。左脚の付け根あたりもつよく打ったようだ。この3カ所が痛みとなって押し寄せる。私の体は廊下に転がった。
誰かが走りよって来た。「大丈夫ですか」と声をかけて、私を起こそうとする。思わぬ事態に一瞬頭が白くなり、このまま自分は終わるのだという恐怖感が襲った。呼吸ができない。息がはいってこないのだ。私は体を起こそうとする橋本君に、「いいから、自分で起きるから、そのままにして。すぐに立ち上がろうとすると危険だから」と寝たまま答えた。
そこへ、部長が通りかかり、ひっくり返った私を見て驚いて、「大丈夫ですか」と声をかけてくる。(ああ、私は廊下に倒れた哀れな老人なのだ)
気遣いに対して礼を言って、私はゆっくり立ち上がったものの、心臓の鼓動は早鐘のようにうち、いっこうにパニックは収まらない。
私はトイレに逃げ、個室に入った。便座に座って深呼吸をするよう自分に言い聞かせた。やや落ち着いた。洗面で冷たい水をかける。鏡を見ると、紙のように白い。血の気が引いている。
六階の男子休養室へ行ってソファベッドに体を預けた。目を閉じてぐったりしていた。20分はそうしていただろうか。
ケータイが鳴った。制作会社のYさんが業務連絡をしてきた。制作費の見積もり計算の計算式についての質問だ。それに応対していると、だんだん呼吸が通常に戻っていく。日常性とは何と力強いものか。
居室のデスクについてパソコンの前に座った。手は動くが腕を動かすと痛みが右肩まで突き抜ける。そのうち腕が顔より上に上がらなくなった。無理にあげようとすると鋭い痛みが走る。激痛はだんだんひどくなる。
鍼のタケ先生に電話をしたら、すぐに来いという。飛んで行った。いつもと違う、直接のお灸を肩にすえてもらった。
今朝も痛みがあるが、パソコンを一応打てるまで回復。しかし、不幸中の幸いだった。倒れた場所が悪ければ、最悪もあっただろう。
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