定年再出発 |
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知らぬ月日は美しく
あと6日で誕生日。いよいよ65歳になる。と、こうやって記すと不思議な気がする。誰か自分でない人のことを語っているような気がする。こんなに長く生きてきたという実感がない。 大学を卒業した昭和45年の春を思い出す。 仕事が決まっていたから、卒業研究の論文を提出するだけの気楽な身分だった。毎日、大学の研究室に顔を出すだけで、授業もないから暇を持て余していた。たしか学生会館がバリケード封鎖されていたから卒業式も正式に行われるかどうか危ぶまれていた。そんなものなくったってかまわない。実際、大学が主催する卒業式をボイコットした。父と母は、息子を会場で探したが見つからず、私の親友と記念写真を撮っている。 朝、時刻どおり朝食をとって、遅く10時ごろ大学へ向かった。学校まで10分もかからない。中町から殿町の通りをぶらぶら歩いた。堀にはいつも釣りをする人がいた。大手門を通るとき、必ず門の止め石の上に両足をそろえて乗ることにしていた。一度、試験のときそうやってゲンをかついだらうまくいったことがあって、以来ずっとそうしていた。2年間は続いたと思う。 門をぬけると、理学部と教養部の連結した大きな校舎がある。その側道を通ってグラウンドを迂回し大きな坂を上ると学部があった。その坂の両脇には桜並木があって、4月になれば爛漫の花を咲かせた。しかし、学生たちはまったく風流には関心をもたなかった。 金沢大学は金沢城の城内にあった。そういう大学は珍しくドイツのハイデルベルク大学とこの金沢しかないと聞かされ誇らしく思った。大学の前身である旧制四高や師範学校は、戦前は城外にあって、キャンパスがなかに入ったのは戦後のこと。ドイツに比べると歴史は浅く伝統も比べ物にならない。戦前はここに第9師団があって、軍隊が駐屯していた。安岡章太郎を読んでいたら、傷病兵となった安岡が大陸から送り返されて金沢の軍の病院に収容されたとある。彼は敗戦をここの陸軍病院でむかえたらしい。 研究室は4階にあった。行くと誰かがいた。書庫から借り出した本を読むか、ヒーターのそばに集まって雑談をするか、ゴクつぶしの暇つぶしだった。同級生を見つけると、卒研の進捗を互いに聞きあって、一喜一憂していた。大学闘争は下火になったとはいえ消えてはおらず、文部省の策動に対して憤りをもつと同時に、間近に迫った大阪万国博の話題にも関心を示した。(ノンポリ学生の限界だ) しかし、数か月も経たないうちに、よど号ハイジャック事件が起きる。 昼ともなると、若者はすぐ腹が減る。香林坊、片町の繁華街へ仲間とかたらって出かけた。城からの出口は大手門とは反対の方角にある宮益坂を下る。鞄をかついでわいわい騒ぎながら坂を下って行くあの頃の私の姿が見える。仲間のなかにはまだ学生服を着た者もいた。みな長靴を履いていた。 4,5年前、久しぶりに金沢城に行った。大学は郊外に移転して、タコ足だった学部も集められて大きなキャンパスになったという噂は聞いていたが、城内にあった大学の建物施設はまだ残っているだろうと勝手に考えていた。 すっかり変わっていた。まるでアミューズメントパークだ。通いなれた道も建物もまったくなくなり、復元された、映画のセットのような櫓(やぐら)がぴかぴか光っていた。宝物館や歴史館など見たこともないパビリオンがあった。案内板を読むと、ここで前田利家や妻たちが住み、加賀百万石の文化が育まれたと、いかにも昔から建っていたかのように記されている。研究室のあった場所を探してみると、芝生の庭になりはてていた。まったく往時を偲ぶ縁がなかった。 ー昭和45年3月、金沢を出た。これから始まる社会人としての暮らしにわくわくしていた。過ぎ去った大学の4年間のことなど一顧だにしなかった。何か知らない大いなるものが待っている気がした。今から振り返ると、まさに「知らぬ月日は美しく」だ。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2013-01-13 10:52
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