飲みニュケーション
「となりの芝生」というドラマのリメイクの中にこんなシーンが出てくる。亭主が同僚を家に連れて来てどんちゃん騒ぎをする。そのまま酔いつぶれて、一同宿泊。翌朝、亭主とその仲間はそろって朝飯を食べて、出社していく。
この光景が、今ではありえないと評論家が書いていた。こんな風景は昭和だというのだ。
私には当たり前の風景だったのだが、たしかに平成に入ってからは減った。まず、引き連れて歩く若い人がいなくなったし、一緒に飲みに行こうという仲間や部下も消えた。息子や娘に聞くと、会社の上役なんかと飲みに行きたくないという。飲むなら、気の置けない仲間うちで飲む。オヤジといっしょになればきっと自慢か説教であろう、そんな面倒くさいことは嫌だ、というのが若者の言い分らしい。
だが、同世代の仲間うちの飲み会での話題とは何なのか。趣味、旅、テレビや映画の話、当たり障りのないプライバシー。この程度のことではないだろうか。会社の上司と飲むのも毎日じゃない。たまに飲んで、シゴトの自慢を聞くのは結構ノウハウを入手するうえで得だと思うのだが。
しかも、上役と飲むということはおごりだから、ただ酒が飲めるではないか。
たしかに自分を振り返っても、上司の自慢を聞いた時代は35歳まで。自慢や説教を垂れたのが55歳まで。自慢の時代のほうが長いよな。
考えてみれば悲しいもの。自分の時間にもかかわらず、シゴトのことで口角泡を飛ばして熱く語るなんて。会社にとってはこんなに効率のいいojt(オンジョブ・トレーニング)はない。
養老孟司さんは四六時中シゴトばかりしていて、定年退職した後ボケーっとした人生を送ることになった人を何人も見たという。そういうシゴトの仕方、させ方はある意味で犯罪的とまで思えると強い調子で語ったことが忘れられない。その対象にほぼ私はあたるだろう。番組を作る以外にこれといった趣味ももたなかった私なら、まさに定年後の悲惨は必然となる。そうなりたくない。
そう思って始めた俳句。そこそこ情熱を注いではいるが、熱心に結社に入っての活動とまではいかない。近年、もっともよく活動しているのは歌舞伎見物。今週日曜日も浅草歌舞伎を見る予定にしている。
今年から都内の2つの大学で授業をもつ。それが少し楽しみだ。新しい学校と新しい若者との出会いは、ひょっとすると楽しいかもしれない。とくにひとつは私の家から徒歩で行ける距離に在るから図書館利用も頻繁にできるかも。
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