いっしょに歩こう
58歳の第1次定年の頃から、年賀状を出すのが億劫になった。特に、年末の慌ただしいときに合間を縫って、200枚ほどの葉書に住所を書くだけでもしんどいのに、いちいちコメントを足していたら切りがないと思うようになった。
この2、3年は、新年明けてから、賀状が届いてから、その文面を読みながら、返事を書くような調子で新年の挨拶をするようになった。不逞であるとは重々知っているが、どうも気がのらないのだ。
年々、賀状の数が減ってきたのは、仕事の付き合いの社交辞令を辞めたことと、もうひとつその相手が亡くなっていくことだ。死んだ人は連絡をくれないから、数年賀状が届かないことがあると、あああの人も天国に行ったのだなと間接的に知ることになる。さみしいものだ。
だから、賀状には喜びだけでなく悲しみも乗せて来るたよりだ。
広島の友人からの賀状を読んで絶句した。「とうとう、食べることも飲むこともできなくなりました。でも私には創造力があるから大丈夫です」というコメントが添えてあった。40代前半のKさんは5年ほど前から舌癌にかかり闘病してきた。半年前にお会いしたときは、まだ元気そうであったが、とうとう口を使っての食べ物摂取が出来なくなったのだ。まだ、あの若さで、というため息しかない。
Kさんは、今から20年前に私が広島で番組を作っている頃、アシスタントとして制作班にいた。広島生まれの頭のいい人だった。英語が堪能で、イギリスBBCと共同制作したときも、私専従の通訳を果たしてくれた。番組センスがいいので、テレビ編集をやってみないかと、声をかけたことから編集パーソンに担務変更してもらった。案の定、いい仕事をいくつもしてくれた。その2年後に、私は東京へ戻ったが、彼女もほどなくして、その仕事をやめた。
5年前、舌癌になったとき、手術を千葉の癌研病院で受けた。そのときに連絡をもらって、退院後に銀座であった。目はいきいきしていたが、病人であることは否めなかった。だが、料理に生きがいを見いだしていて、創作料理のコンテストで良い成績を納めたと喜んでいた。その続きを今もやっていると思っていたのだが、今回の賀状ので現状をはじめて知った。
私自身、65歳をむかえて、体のあちこちに不調が出て来ている。いちいち気に病んでくよくよすることが多い。だが、Kさんの境遇を考えると、そんな事で負けているわけにはいかないと思う。だからKさんも、いっしょに同じペースでこれからの人生を歩いて行こう。
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