定年再出発 |
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羽田発0時
昨夜9時、品川の改札でロサンジェルスに帰る子守くんと落ち合った。 11月下旬に一時帰国していた子守くんは所用を終えて、再びハリウッドへ映像修行の旅に出て行く。 彼はいまから6年ほど前の私の「映像メディア論」の受講した学生だ。私の前期のメディア論は実際に民生用カメラとパソコンを使って10分程度の番組を作ることにしている。ドラマや音楽番組のように“演ずる”ことを主眼とするものでなく、身の回りの実際にあるもの、起こったことを題材にしてグループでいわゆるドキュメンタリー番組を作る課程だ。 8年間、この授業を行ってきて、はじめてドラマのテーマが登場した。発案者にしてディレクターになったのが子守くんだった。ドラマといっても、原作があって、それを映像化したもの。原作は梶井基次郎の「檸檬」。三高生だった梶井が下宿で病んだからだをやしなっていたが、飽きて繁華街へと出て行く。街角の八百屋をのぞいたり古書店をひやかしたりして、ついには目抜き通りにある丸善へ赴く。そこで西洋の文化の香りをかぎながら、欲求が満たされない不遇な自分を破壊するかのようにして、丸善の洋書の本棚に、八百屋で買った檸檬をそっと置いてくる。まるで時限爆弾を仕掛けるようにして。 という物語を、子守くんは同級生に梶井を演じさせて、イメージを次々に紡いでいった。予算もスケジュールもないきつい条件のなかで彼はよく健闘した。あり合わせの衣装と調度品を使って演出したのだが、みずみずしい「ドラマ」が仕上がった。映像のセンスがいいことに驚いた。そのことを褒めた。その言葉が彼の人生を変えることになるとは予想もしなかった。 彼は大学院に進学した。文化研究の少壮の学者にでもなるのだろうと思っていたら、映像作家を希望していると洩らすではないか。たまげた。 彼は映画監督になることをひそかにねらっていたのだ。そのチャンスを大学院に在籍しながらねらったのだが、なかなかハカがいかない。日本の映画会社は、現在新卒の監督は採用していない。ついにはテレビの制作会社にでも勤めて、映像修行したいと私にもらしたので、在京の会社を斡旋したりしたこともある。だが条件的に合わなかったので、その機会も消えた。だが、映画監督への夢を彼は諦めなかった。 1年前、彼から連絡が入った。アメリカに行くことにしたという。LAの映画学校の夜学へ留学することを決めて、大学院を退学した。自分の運命を自分で切り開くことにしたのだ。 独力でバイトして貯めた金をふところに渡米した。1年間、風の噂では映画作りの技を次々に身につけていると聞いていたが、本当に順調なのかなと危ぶんでいた。 先月帰国して、羽田に到着して東京に三日ほど滞在して、その後故郷の神戸に帰省した。その東京滞在のとき私のところへもやってきて、LAで作ったという短編ドラマ「Inside out family」のDVDをくれた。 その晩、英語の台詞を必死で聞き取りながら、彼のプロ第1作を見た。音楽、音響効果がまったくない素のドラマだったから、やや情感に欠けて貧しい印象が残った。そのことは率直に彼に伝えた。 でも、家族を主題にしていること、不条理というかイロニーというか普通っぽくない何かがあることなど、才能が端々に見えた。(ひょっとすると、彼は夢を実現するかもしれない) 昔、ドキュメンタリーで「タルコフスキーへの旅」というテレビ番組を作ったことがあることを私は思い出した。そのなかで、タルコフスキーがモスクワ映画大学の卒業制作した10分ほどのミニドラマ「殺し屋」が入っている。これが子守くんの参考になるかもしれないと思い、昨夜、別れの門出にDVDを送った。彼は「参考にして、負けない作品を必ず作ってきます」と力強くいって、京急の羽田空港行きに乗り込んでいった。 彼の利用する便は午前0時発のLA行き。安いチケットのため、深夜出発なのだ。だが、彼の顔は輝いていた。頑張れよ。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2012-12-06 16:51
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