ファイナリスト
『ギャラック』という放送批評誌の今月号を手にとったら、9月のギャラクシー賞が発表されていた。そのドキュメンタリー部門に「吉田隆子を知っていますか」がエントリーされていた。あ、よかった。
あの作品が放送されて直後数人の知人から感想や批評はもらったが、公的なものはなくなんとなく物足りなく思っていたが、放送批評懇談会できちんと論議の俎上にのぼっていたのだ。エントリーされるというのは受賞対象作であると認定されたことになるのだ。一口感想には、「恥ずかしながら、吉田隆子を知らなかったが、重いものを感じた」というようなことが記されてあった。まさに当方の意図する点であり、こんな嬉しい言葉はない。
国際エミー賞の来年度の募集要項が回って来た。つい先日今年度の授賞が発表されたばかりだが、もう来年の話が始まっているのだなと寂しい思いがした。
ところがその要項に今年の応募作品のリストがあって、そのアートドキュメンタリー部門に、私の「この世の名残夜も名残」があった。やった。たしかに応募したし、英語バージョンも作成した。むろん、英語化は国際部のスタッフが担当してくれたのだが、かなり立派な訳がついて誇らしかった。そこまでは知っていたが、その後の消息はなかった。
だが募集要項に例題として出ていたということはおそらく日本でのコンテストは通過したと思われる。アジア、オセアニア区域でのコンクールで落選したのではないだろうか。そこを通過すると、ニューヨークでの本選に出場できるのだ。その資格をファイナリスト(最終選考出場者)という。そのファイナリストにはなれなかったが、その手前まで行ったのだ。
5年ほど前に、昔机を並べたディレクターが文楽のドキュメンタリーでニューヨークの本選まで行ったことがある。そのとき、彼から同じエミー賞仲間ですねといわれて、違うよと反論した。
たしかに私は1995年に受賞したが、彼はしていないじゃないかと思ったのだ。ところが、ファイナリストに選ばれることが受賞したことと同等の意味をもつのだということを、近年になって知った。たしかに最終選考にまで進出することは至難だということを、近年つくづく感じる。
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