ルポ 浅草三社祭 3
ひさご通り端にある「あまかす」に灯りがともっていた。祭とあって
特別に店を開けたのだろうか。どうやらT大人だけは開店している情報を
予め知っていたようだ。さっさと、店の前に立ってガラガラと戸を開けた。
あまかすはこの界隈でも老舗の酒場で、80歳を越えるママが長く一人で切り盛りしている。
口は悪いが気立てのいい人で、人柄を慕って昔からの客が多い。店の売りはハイボールとジンフィズ。
わが浅草を飲み歩く会は10年来のなじみだ。ここ2,3年私はご無沙汰しているが、
T大人らメンバーはママとはかなり仲がいい。
特にT大人への信頼は厚く、ママが1年前に入院したときも何度も見舞って感謝されている。
そんなことで、あまかすママの動静はT大人が熟知していて、退院後久しぶりに店を開けることを知って、この夜訪ねたと推測される。
店内は昔からの常連でいっぱいだった。カウンターの中にはママ一人では無理だとして
ママの娘も入っていた。娘さんといっても、私と同世代か少し上。母とよく似た面差しだ。
T大人が座ると、ママはうれしそうな顔を見せる。早速、全員ハイボールを所望する。ポテトサラダ、から揚げ、鰯の煮物、などおなじみの品がカウンターに並ぶ。
向かいに座った老人は戦後まもなくから通っているような口ぶり。長年見てきたママの
天邪鬼ぶりをおもしろおかしく大きな声で語っている。
ママはちょっと顔をしかめて「いつまでもうるさいよ、昔の話なんて」とたしなめる。だが老人はこりない。周りに聞かせるようにあーだ、こーだと言い立てている。
どうやら演劇関係者ご一統さんらしい。高名な評論家のヤノセイイチさんの姿もある。ヤノさんはたしか山の手育ちのはずだが、やはり江戸の匂いのする浅草はお好きらしい。
ママは病み上がりだから、さすがに立って十人余りの客の相手をしていて疲れたようだ。丸椅子に腰掛けるが、またすぐ立ち上がって客の相手になる。
カウンターの上手はしが空席になっている。「もうすぐ彼氏が来るからね」とママはT大人に目配せする。
8時過ぎ、彼氏ことサイデンさんが一人でやってきた。何と日本文学研究家で翻訳家の
サイデンステッカーさんだ。ハワイと日本を行ったりきたりの生活だが、在日時はかならず
サイデンさんはあまかすを訪れるという。席につくや流暢な日本語で注文する。
忙しさに段落がついて、ママがサイデンさんの前に立つと、「やっと私のところへ来てくれましたね」と軽くすねてみせるサイデンさん。やるもんだ。
ここに集う老人たちは、ママの回復を心から喜んでいるようだ。高砂族(台湾ではありません)たちは滅法色っぽく、麗しい。
9時半、店を出た。
浅草の町はまだ祭の余熱が残っていた。ひさしぶりの下町はよかった。
今宵歩いた店は、かつてドラゴンさんと共に行った店ばかり。すこしだけ供養になったかなあ。私が京都へ行っているときドラゴンさんはなくなったので、葬式も通夜にも参列できず心残りだったが、今夜のイベントで少し心が晴れた。

最後に下町を愛した俳人久保田万太郎の名句を記しておく。
神田川 祭の中を 流れけり
よかったらランキングをクリックして行ってください
人気blogランキング