元気に死ぬこと
佐野洋子の最後のエッセー集『死ぬ気まんまん』を読んで、あの[豪傑」でも死ぬ間際の苦痛からは逃れることができなかったのだなと知って、彼女の最期を思って同情を禁じえない。
あるとき、佐野さんは自宅で寝ていて、言い知れない痛みというか苦悩というか、サムシングな鋭いものが出現して、半日洋子さんを苦しめる。その出来事をかなり微細に描写している。この苦痛のなかにあって、悪さの動きをしっかり見据えてもいるのだ。さすが洋子さん。恐がりだとか小心とか、謙遜してこれまでも記しているが、5回ほど、生佐野洋子と対面した経験からいうと、けっしてそんなものなど持ち合わせていたとは思えないから、この病中の痛み直視の振る舞いは、おおいにわかる。
余命もきまっていて、入るホスピスも決めていて、死ぬ気まんまんの洋子さんですら、最後の段階でモルヒネなどで紛らしてもらうほどの痛みがあると知ると、死ぬのが恐い。死ぬまでが恐い。
3年前、母が死んだときのことを思う。死ぬ1週間前あたりから、母の人格が変化した。普段の穏やかで話し好きの人柄から荒々しい苛立った振る舞いをするようになった。「わたし、死ぬのかな。まだ、嫌や」という悲しい抗いの言葉を呟くのが精一杯になっても、呟き続けた。死にひるんだかのように見えた母が、時折、それまでの恐怖の表情が失せて、神の恩寵を感謝する言葉を発した。「こうして、最後の時間が与えられたのも、神様のお恵みなんやろ。何か意味があって、こうして試練が与えられたと思います。それを忘れて、死にたくないと叫ぶ私はなんと信仰の薄いものかと反省します」
といって、母はベッドに正座して、祈りの姿勢をとるのであった。
本日は秋晴れだ。日がさんさんと降り注いでいる。もくせいがかすかに匂っている。こんな秋の日に、実家の縁側で洗濯物を干す母と会話を交わしていた5年前のことが思い出される。
『死ぬ気まんまん』には、築地神経科クリニックの平井辰夫理事長との佐野さん対談が収録されている。その中で佐野さんは「本当に元気で死にたいんですよ」と語っているのが印象的だった。
そこで、大江光さんの逸話を思い起こした。大江健三郎著『いかに木を殺すか』のなかに描かれている場面。四国の村へ遊びに行った光さんが、帰りがけに祖母に語った言葉、「元気を出して、しっかり死んでください」語られた情況は、佐野さんと光さんの境遇の差だけ違うのだが、ふたつの言葉に宿っている「ゆるやかに輝く希望」がまぶしい。
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