イチエフ
やはり悲劇は続いていた。9月末に岩波書店から出された『ルポ・イチエフ』を読んでいて慄然とする。イチエフとは福島第1原発のこと。ここで使い捨てにされている従業員(といっても下請けの下請けの人たち)の実態と証言をつづった最新のルポルタージュだ。
やはり、3月11日のあの日から4日間にわたり日本存亡の危機が起きていたのだ。ということを今頃になって知る。水素爆発が3か所に起きるのだが、安全委員会の原子力ムラの専門家らはまったくその可能性を予想しておらず、手をこまぬいてその爆発を眺めていたという事実を今頃になって知る。非専門家の広瀬隆さんのほうが水素爆発の危険性を察知していて激しい危機感を抱いたというのに、いかに専門家という人たちがムラのなかの論理に埋没していたか。
菅首相が現地に乗り込んで東電に対して撤退は許さないと言ったとか言わないとかの談義が起きた直後、3月15日午前6時過ぎ、メルトダウン回避の努力がなされていた2号機で爆発が起きた。吉田所長はこのとき万事休すと考えた。(後の調査によると、このときの爆発は4号機であったようだ)。当座の補修要員70名だけを残して、全員第2原発へ避難する。このときと4号機で使用済み核燃料が崩壊熱を発生しているかもしれないと憂慮されたときが最大の危機だった。
使用済み核燃料がこれほど危ない物だという事は知らなかった。放置すれば崩壊熱を出して、ついには燃料の被覆を焼き、さらには燃料そのものにも及ぶ。つまりメルトダウンだ。4号機でその可能性があった。4号機は原発稼動を止めて、プールの水中に1500本の使用済み核燃料を眠らせていた。津波で電源を奪われたこともあって、そのプールの水を冷やす手立てがなくなった。当然、崩壊熱によってプールの水は干上がり、ついには燃料も焼け落ちたと見られた。
アメリカはどういう情報をもっていたのか、この事態をもっとも恐れた。在日米人に80キロ以遠に避難するよう勧告したのもこのときだ。
ところが、そうとはならず、プールには水があった。僥倖としかいえない。本当に奇跡だ。もし4号機で事故が発生していれば、日本列島の東半分は今頃「ゾーン」(タルコフスキー)になっていたことだろう。
しかし危機は去ったわけではない。メルトダウンした核燃料は汚染物質を出し続けているし、その燃料を取り出す手法とてまだ見つかっていない。つまり現在も汚染は増大している。
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