出家
同年のプロデューサーがとうとう出家することにした。
とうとうと言うのは昨年から修行を開始していたのだが、本格的に出家の身分を選択することにこのほど決めたのだ。
ドキュメンタリーを作らせたら天下無双の達人だった。主義主張に捉われず事大主義を排し、心の襞に張り付くような繊細にして巧緻な番組を作る名人だった。画面とナレーションのコメントの按配が絶妙だった。「番組」というものの”宿命”をよく知っていた人だ。
10年前にある出来事に遭遇して第1線から退いて以来、小さな教育テレビの番組をプロデュースするようになっていた。
同年だから、彼も今年から来年にかけてのどこかで65歳をむかえ完全定年になる予定であったはずだ。その後、フリーランスの制作者として作品を造り続けるだろうとぼんやり想像していたら、本気で出家することにしたようだ。心が騒ぐ。
私には信仰の道が違うので出家ということにはならないが、世俗を離れて仏(神)の道を選ぶという道理は分かる。その選択に至るまでに血の滲むような苦難があったであろうことは想像できる。私はそういう葛藤から目を逸らし、番組を作ることに”逃避”してきた。今回の出家の報せは、その無為な生き方を激しく撃つ。
一方、10歳年長の往年の名ディレクターは癌を得ながら、俳句精進に不断の努力を重ねている。これもまたその日暮らしの私の生き方に激しく改善を迫る。
二人の生き方を考えていたら、97歳で大往生を遂げた永田耕衣の句を思い出した。
枯草や住居なくんば命熱し
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