おーい、天沼
久しぶりの中央線。阿佐ヶ谷を越えると杉並の住宅街が一望できる。電車はまっすぐ夕焼けに向かう。この光景が吉野弘の詩「夕焼け」を彷彿とさせて好きだ。
荻窪の駅を降りて北口に出る。不法占拠していた焼き鳥屋が消滅していて、公園になっているのには驚いた。町並みは変わらないが、そこにあるひとつひとつの店が変わっている。全体に私にとってよそよそしい町になった。
1975年から80年まで天沼に住んだ。荻窪北口から12分の住宅街、借り上げの独身寮があった。杉並第五小学校の裏。入り組んだ路地の奥だった。風呂はなかったが、まわりに銭湯が3つもあったから不便ではなかった。
金はなく力もなく恋人もなく、ただ時間だけがいっぱいあった。暇だから、出歩いて散歩ばかりしていた。当時はビデオもなく古い映画を見ようと思えば、新宿まで出てアートビレッジのようなシアターに行かなければならなかった。先達からすすめられて、「戦艦ポチョムキン」を見たものの、それほど感心もしなかった。
唯一の楽しみは、ポロン亭という喫茶店へ行って、その店のママであるミヨさんや常連たちとおしゃべりすることだった。店は10時で閉店し、そのあとはみなでカンパしてサントリーの白を買って、だらだら酒を飲んだ。興が乗れば、そのまま荻窪の寺院や公園を散歩して放吟した。
仲間に黒テントの役者、カズオミがいた。妻帯して子供までいた。若くて美しい妻シスカは親切で、ときどき家に呼んでくれた。若い夫婦の所帯が珍しく、行くといつも部屋のなかをきょろきょろ見ていた。そのふたりとも先年相次いで死んだ。ミヨさんも死んだ。
でも3・11を経験しないですんだのはよかったじゃない。フクシマの悲惨を知らないで逝ったのは悪くない。
生きていたら、反原発できっとミヨさんは先頭に立っていただろう。
思い出のつまった町荻窪。すっかり顔が変わっていた。道行く人は老人ばかり。若者の姿はほとんどない。若さにまかせて議論し狼藉をしていた若者の姿を探そうにも術がない。
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