長い友
40年も細々と友情をつないできた友がいる。2歳年長のコーイチだ。コーイチは埼玉県南部の町で学習塾を営んでいる。
出会った1975年の頃は公立の中学校で数学の教師だった。ロックが好きでローリングストーンズを愛しており、長男にミックと名付けるほどだった。若者の歌が好きなのは今も変わらない。
コーイチを紹介してくれたのは荻窪の天沼八幡界隈にある喫茶店ぽろん亭の主人ミヨさんだ。ミヨさんは私よりずーっと年長だったがかつて演劇運動に参加し、美大を出てデザイナーを長くやっていたらしい。脱サラして、荻窪で喫茶店を始めた。その店の常連となったことからミヨさんの信頼する友人コーイチとレイ子の夫婦を知った。なんでも両者はキューバの砂糖黍刈りのボランティアで知り合ったそうだ。
コーイチは大学を出て電子メーカーに勤めた。そのころ始まったコンピュータの製造が主力の学生に人気の会社だったのだが、その金儲け主義の経営に失望。もっと人として生きがいのある仕事をと考えて選んだのが公立中学校の教師だった。
都会育ちにもかかわらず純粋で朴訥なコーイチは、まるで青春映画に登場する熱血教師だった。勉強が出来る子供よりつっぱっている生徒たちの面倒をよく見ていた。家庭訪問を熱心に繰り返していた。
80年代に入って、中学校が荒れていた頃、コーイチは学校の教育に限界を感じた。学校側は管理中心で、子供たちの思いなどまったく考慮しないシステムに成り下がったとコーイチは悩んだ。挙げ句、学校を辞めて、地域の塾をはじめた。数学を中心とする学習塾だったが、こどもらの相談に乗る町のカウンセラーのような存在となった。以来、40年塾を営んでいる。
コーイチは荻窪のぽろん亭で月に一度ライブハウスを始めた。週末の一夜、店をミヨさんから借りてフォークシンガーらを呼んだのだ。小さなコンサートのプロデューサーといったほうがいいかもしれない。
高田渡や南正人、その他売れないシンガーソングライターたちがやって来て、歌をうたった。バブル前夜、世の中金儲けにうつつを抜かす時代に背を向けた、永島慎二の漫画に出て来るようなやさぐれた歌い手ばかり、コーイチは呼んでいた。ぽろん亭ライブは最後にカンパを集める。その収益は売れないシンガーにとっては割のいいものだったようだ。コーイチはシンガーから信頼された。
あれから40年。ぽろん亭ライブも100回を越えた。その間、亭主のミヨさんも死んだ。高田渡も死んだ。ある歌い手は行方不明となり、あるシンガーは葉っぱで収監された。いろんな泣き笑いがあった。気がつくと、コーイチも私もシンガーもみな60代を越えていた。
このライブハウス活動もそろそろ終わりに近づいたような気がする。コーイチの苦労をねぎらいたい。最後は、彼の望むスタイルのコンサートにして、このぽろん亭にゆかりのあった死者たちを弔うような会をもてたらいいなとぼんやり考えている。
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