気仙沼市
2泊3日で、東北の被災地を巡察してきた。実質にはまる2日で気仙沼から陸前高田、南下して陸前高田、南三陸町、石巻、松島、仙台というルートを駆け抜けた。
地震発生から1年半経過して、どういう風景になっているのか、人々の暮らしはどうなっ
ているのか、仕事が一段落したのをシオに岩手、宮城の2つの県域を歩いてみることにした。
1日目、仙台まで新幹線で行き、仙台の空港レンタカー案内所で大阪伊丹空港から飛んできたS先生と合流した。ひとまず東北自動車道をとおって一ノ関まで出向く。
2日目、この一ノ関の駅で、後発参加のY君と合流して、彼の運転で、三陸海岸部の中心地気仙沼をめざした。山間地とはいえ、道路はよく整備されている。田んぼには稔りをむかえた稲が微風に静かに揺れている。
最初に訪れた気仙沼は思ったより明るい雰囲気があった。月曜日で車や人が動いていたこともあるのだろう。町のあちこちには倒壊寸前の家や空地が目につくのだが、フシギと暗さがない。廃墟のなかにも小さな活気がどことなくみなぎっているように感じられた。当方の勝手な思い込みだろうか。
気仙沼は入江が深く、海のそばまで山が迫る良港。沿岸部の平地は凄まじい力が走りぬけたあとがあちこちにあったが、周辺の山や丘には建物はそれなりに無事で残っている。そのことも、町にざわめきを残させている理由のひとつかもしれない。
仮設のマルシェ、紫南町商店街。この南町界隈にあった店舗50あまりがプレハブの店の軒を連ねている。なぜ紫という単語がついているのかというと、すぐ近くの山上に紫神社というのがあって、津波襲来のとき、おおぜいの人がそこまで走って避難して助かったということから紫の言葉を冠にしたそうだ。この話を、昼食をとったすし屋の花板さんから聞いた。その人が言うには前どおりの営業をするまでにあと3年はかかるだろうなあというため息。
驚いたのは被災地見学者の団体がバスで続々訪れていることだ。百人二百人という団体が商店街へ来て消費している。少なくとも紫市場にはネガティブな気配は少なく、そこに住む人たちにも笑顔があった。だが、町を離れて山間部の仮設住宅に暮らす人たちの声を聞いたわけではないから、軽々の判断はできない。
気仙沼の海岸沿いを行くと、大きな貨物船がどかんとある。津波の威力を示すかのようにして幹線道路の脇に鎮座してある。船の真下にはまるで祭壇のように花束やお菓子の箱が積まれてある。悲しみはなく、フシギなユーモアさえ漂っている。
気仙沼の市街地をあちこち視察するとき、破壊の凄まじさにはショックを受けたものの人間の苦悩、悲哀というものが見当たらなかったし感じもしなかった。
ところが、北上して隣の陸前高田の荒涼たる風景を見たときは、声を失うことになったのだ・・・。
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