批判的ナショナリズム
昨年の3/11をのぞいて、日本および日本人は21世紀をなんとなく微温的に過ごして来たのではないだろうか。欧州経済危機や中東のビロード革命のことなど対岸の火事のようにして見てきたのではないだろうか。だが、このひと月ほどは東アジア情勢がかなり緊迫してきて、きな臭くなってきたように思われる。オリンピックで高揚した民族主義がナショナリズムをすこし後押ししているかぐらいに見ていたのだが、どうも看過できない水位にまで日中韓各国のナショナリズムが来ているようだ。
日中の間に横たわる問題は脇に置いて、当面は日韓の関係に焦点が集まるだろう。今朝も総理大臣の所感が発表されるというニュースが駆け巡り、どんな見解を打ち出すのか関心を集めている。
昨日の国会で質問に立った自民党の代議士の口ぶりはどこかで聞いたことがあるようだと思いめぐらしたら、戦前にしばしば使われたスローガン「暴支膺懲」のニュアンスだったのだ。暴戻な中国を懲らしめろといったぐらいの意味だろうか。むろん、戦後生まれの私とてその言葉をリアルタイムでは知ってはおらず、ものの本や歴史書で読んだぐらいだ。が、あの暗い谷間の時代のグロテスクな言葉が実感をともなって復活していることに危惧をもつ。
歴史学の成果を身につけたい。「ヘテロトピア」ということを考究してきた歴史学者上村忠男の意見に耳を傾けたい。
あるひとつの文化の内部に見いだされる他のすべての実在する場所を表象すると同時に異義申し立てを行い、ときには転倒してしまう「異他なる反場所」を指す言葉「ヘテロトピア」。歴史の反場所に立って、歴史を見ることの大切さを上村は説いている。歴史の異他性、ヘテロロジーと上村は称している。
さしあたって、現在の日韓の問題であれば、どういう地がそのヘテロトピアにあたるのだろうか。