多事多忙のなかの観劇
日曜日。新橋演舞場で八月花形歌舞伎を見た。「桜姫東文章」の通し狂言を堪能した。とにかく長い。
朝11時に開演して終わったのが午後3時過ぎ。途中、休憩を2,3回挟むとしても長い。
鬼才、鶴屋南北の世界をたっぷり味わった。
夜の江ノ島、稚児ケ淵。清玄と稚児の白菊丸が心中を図ろうとしている。男同士の愛だが、死んで今度生まれ変われるなら女になってもう一度清玄と添いたいと白菊丸は一途に願う。二人はそれぞれ相手の名前を記した香箱の蓋と身を分け持って、海に飛び込もうとする。白菊丸は飛んだが、清玄は気後れしてしまう。
吉田家の桜姫が仏門に入りたいと申し出た。理由を話せといっても口をつぐみ、ただ剃髪して清玄和尚の弟子入りすることだけを望んでいる。心中から17年、清玄は修業して大阿闍梨になっている。
桜姫は生まれながらに開かぬ左手をもち、このようになったのも前世の宿業だと諦めている。おまけに父吉田少将が暗殺され、弟梅若も非業の死をとげた。家宝の都鳥の一巻も奪われた。いろいろなことが重なって、桜姫は尼になることを所望している。
そこで清玄が願いを聞いて十念を授けると、姫の左手が開く。なかから香箱の蓋が現れる。白菊丸が握って死んだあの蓋だ。吃驚仰天。姫の年齢を問えば17歳。清玄は桜姫が白菊丸の生まれ変わりだということを悟るのであった。
吉田家の御家騒動に絡んで、さまざまな男女の愛欲が絡んで発展する物語。荒唐無稽、眉唾物、絵空事といったら身も蓋もない。このゴシックロマンこそ南北の骨頂なのだ。流石、「四谷怪談」の作者だ。
昨夜8月13日の読売夕刊に劇評が出ていた。〈福助の桜姫が良い〉と褒め、海老蔵は濡れ場での男臭さが出て悪の色気が発散されていると評価している。そうかなあ。海老蔵はともかく福助には異論がある。口跡が悪く聞き取りにくい。後段で、女郎に零落した桜姫が、姫言葉と女郎言葉を交錯して話す面白さも福助の聞き取りにくい声で盛り上がらない。濡れ場のおつなセリフも切れ切れで味気ない。それに引き換え海老蔵の台詞回しははろばろとして心地よい。ただ福助の外観の美しさは流石ではあるのだが――。つまり、海老蔵と福助が並べばビジュアル的には絶景ではあるのだが・・・。
三囲神社の夜の場面の肌寒さ、新清水の桜狩の絢爛、雷門の爽やかさ、とこの芝居の見所はあちこちにあって退屈しない。久しぶりのグランド歌舞伎にすっかり参った。
本当はお目当ての海老蔵が主役を張る「伊達の十役」を見たかったのだが、今回は諸般の事情からパス。次のお楽しみにとっておくことにする。
ということで、ナレーション作りに追われる多忙のなかで、一日頭を空っぽにして楽しんだ歌舞伎。そこいらのハリウッド映画なんかじゃ絶対に味わえない芝居の醍醐味が満載であった。
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