忍ぶ草〜ある音楽家
今年も夏休みをとれないまま秋となりそうだ。去年の今頃は杉本文楽の撮影、編集で追われ、あまりの忙しさで秋口には胸部に帯状疱疹が出るありさまだった。
昔から夏場は多忙ときまっているのも、長崎、広島の地で番組作りをやってきたせいだろう。世の中では、8月になると戦争だ原爆だと思い立つようにマスコミは騒ぐと揶揄して、「8月ジャーナリズム」とラベルを張るが、やっている身としてはこんな多忙なことを年中やっていたら身がもたないといいたい。
とにかく戦争、原爆関連のドキュメンタリーを1本制作するのにどれほどの労力がかかるか、なかなか分かってもらえない。
愚痴を言うつもりはない。戦争・原爆関連の番組を作ることは誇りに思っている。
今年も、というか現役最後の夏もやはり戦争関連番組を作ることになった。
題して「吉田隆子を知っていますか〜戦争・音楽・女性〜」。本来8月中の放送予定であったが、沖縄関連番組が2本入ったので、9月に押し出された。
9月2日、夜10時から Eテレ
その作業がようやく終わりをむかえつつある。昨日、ナレーションのコメントが最後の「直し」で、一本の完成稿になった。本日、その原稿が語りである福井アナウンサーにわたり、明日ナレーション入れ本番となる。
吉田隆子さんの存在を知ったのはまったくの偶然だった。4月頃に渋谷毅さんのコンサートへ出かけたとき、会場で渋谷さんの妹さんからいただいた展覧会の案内のなかに、数行戦前から戦後にかけて活躍した女性作曲家、指揮者の吉田隆子という名前を見つけたことから、番組作りが始まったのだ。今でも男性中心の音楽界、ましてや戦前は女性の活動する場がなかなかなかった。そこで隆子さんは自ら楽団「創生」を結成して4回にわたってコンサートを開いている。彼女は自らタクトを握って指揮をした。その出で立ちは断髪で黒のスーツにボウタイをした男装で、さっそうと壇上に現れたのだ。その写真が残っている。
第4回の最後のコンサートではロシアの優れた作曲家ムソグルスキーの楽曲をいくつも紹介した。ムソグルスキーの音楽は民衆のくらしや心を描いたものが多く、隆子さんはそういう身近なもののなかの美というものを顕彰しようとした。1939年のことである。
おりしも時代は戦争へ向かっていた。総力戦のための体勢固めで特高警察が暗躍。隆子さんは4度も警察に引っ張られ勾留される。最後の逮捕では5ヶ月も警察に留置され取り調べを受けた。元来、体の丈夫でない隆子さんはついに結核性の腹膜炎を起こし、自宅へ送り返される。以後、彼女は床につくことになった。
半年後、真珠湾攻撃でアジア太平洋戦争が勃発。昭和20年8月の日本降伏までのおよそ4年間、隆子さんは病床にあって、苦しい闘病生活を送る。そういう状態にあっても、彼女の周りには特高の厳しい目が光っていた。その監視の目をかいくぐって書かれた隆子さんの日記があった。そこには音楽をやりたいという思いがせつせつと綴られていた。今回、その日記の感動的な文言を紹介したいと考えている。その日記の朗読は名優奈良岡朋子さん。実は、奈良岡さんは若い頃吉田さんと出会っているのだ。その不思議な縁も番組でごらんいただきたい。
さらに、46歳の若さで死去する半年前に発表したヴァイオリンソナタ・二調が現役の素敵なヴァイオリニストによって再演される。東京交響楽団、ソロ・コンサートマスターの大谷康子さんだ。9月2日(日)、夜10時からの番組をごらんいただきたい。
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