どこでもスピーカー
鍼の治療を受けたあと、「天狗」で冷や酒を飲みに行った。
鍼をうってもらった後のアルコールは信じられないほど美味なのだ。「いよよ華やぐ」という天狗固有の冷酒は夏の盛りにはもってこいだ。
いそいそと地下にある天狗酒場へ入り込んで、烏賊刺身をあてに冷たいコップ酒。片手に、内田樹の新著『街場の文体論』。30分ほど読書アンド晩酌を続けると、仕事のストレスが霧散してクールダウンする。ささやかな至福の時間だ。
とそこへ大きな怒鳴り声が響いて来た。振り返ると、30代の坊主頭の男が前の席の太った女に悪罵を投げつけている。「だからああ、おまえみたいな生き方じゃダメなんだよおお」「クズだよおお」女は抗弁しているようだが背中なのではっきり聞こえない。だが、音量としては女の態度のほうが正解だ。不特定多数が集う酒場ではお互いの私秘的領域を尊重するのがマナーであって、隣近所にまで音響をまき散らすなんてことは違反だ。だが、そのたこ入道は興奮すると周りが見えないらしく、ますます大音声になっていく。
舌打ちした。(るせえなあ。夫婦喧嘩なら家へ帰ってやれ)内心毒づいたが、むろん声には出さない。
そのとき、ドラえもんの「どこでもドア」ならぬ「どこでもスピーカー」があるといいなと思いついた。
例えば、あのたこ入道のそばに不思議なスピーカーをぽこんと出現させる。他者の念力によって。
そのスピーカーに、誰の声だか分からないが、メッセージだけが流れる。音声は初音ミクを使うのもいいかもしれない。
例えば、私の声(るせえなあ。夫婦喧嘩なら家へ帰ってやれ)を流す。男はぎょっとする。
さらに続けて、(おまえのそのキンキン声はなんとかならんのか。天下の往来で婦人を貶めるような言葉を投げつけるお前なんてサイテー。このタコが)
言われた男は、誰がいったのかと周りを見渡しても、客たちはみな素知らぬ顔。
なんてことができたら溜飲が下がるだろうなあ。でも、こんなものがあったら、世の中チクリだらけになってしまうことも考えられるか。それも嫌だな。
なんてことを考えながら、内田本の続きを読む。すると。
《世のサラリーマンたちは高架下の居酒屋が好きです。高架下ってすごくうるさいのです。演歌ががんがんかかっているし、酔っ払いが大声を出している(略)おかしいでしょ、話が通じないのだから。でも、それで構わないのです。話のコンテンツなどどうでもいいのです。》なんていう内田本独特の論理が展開していく。その前ふりに「居酒屋」が使われていた。「奇遇」だなあ。
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