卒業
58歳で定年をむかえることを卒業という。昨夜は、愛すべき後輩のクサカワちゃんが卒業むかえてお祝いの会が開かれ、そこへ出席した。
会場は局近くのライブハウス(我々の仲間が早期退職して営んでいる)で、ディレクターの後輩や先輩のプロデューサー、編集パーソン、カメラマン、私のようなOBまでおよそ40名弱が集まった。
ディレクターの送別にふさわしく、プログラム代わりにクサカワちゃんのフィルモグラフィーが配布された。後輩の若手たちが苦心して作った彼の手がけたテレビ番組のリストだ。 クサカワちゃんはわたしより5年下にもかかわらず、そこにリスト化された作品の数が夥しい。よく聞いてみると、番組のタイトルロールに明示されたものであれば、とりあえずすべて所収したということだ。さもありなん。だが、彼自身がディレクターとして作ってきた作品の名前を斜め読みしただけでも、錚々たるものが並ぶことに、あらためて驚く。
会場の中央にスクリーンが設営され、クサカワちゃんの代表作がエンドレスで流されている。なかに、見覚えのある懐かしいものがあった。「ぐるっと海道3万キロ」のなかの山口県響灘を舞台にした、魚の行商で生計を立てるおばちゃんたちを描いた1986年の番組。題して「カンカン列車ハマチの旅」。作品はフィルムで撮影されている。日本海側で獲られた魚を下関のほうへ運んで行って行商するおばちゃんたちは、早朝の電車のなかで魚の売り買いをするという名場面は実に映像が生き生きしている。フィルムという媒体がもつぬくもりとはいったい何だろう。
その映像を見ながら、クサカワちゃんは思い出話をしっかりと語った。アルコールのない彼は実に明晰だ。
ちょうど10年前、彼は断酒する事態に陥った。実に人生の窮境にあったと思うが、よくそこから生還して、放送局を無事卒業することになった。
私が広島局から東京へ転勤になった1995年、被爆50年の夏に彼は入れ替わるようにして広島へ赴任した。さらに東京では同じ制作班になり、「未来潮流」という実に自由な番組枠(ただし、番組予算はめっちゃ安い)で楽しい仕事をいくつもいっしょに作った。彼との思い出は今になってみると良き思い出ばかり。
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