定年再出発 |
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アナクロ
ここ2,3年の出来事の継起がなかなか私のなかで統合されない。記憶がなめらかに流れていかない。 母の死んだことは去年の初めのこととして私の記憶は納まっている。で、その半年後に大江さんと大石又七さんの番組を作ったと感じている。昨年の8月のことだ。そこから日をおかずして杉本博司の文楽の番組が出たと記憶が並んでいる。 つまり、私の記憶は以下のように組み立てられていた。 昨年2011年のまだ寒さが残っていた頃に母が死に→直後に私は胃がんの手術をし→6月頃に大江―大石対談を収録して8月の初頭に放送→8月中旬に杉本文楽の公演があって→10月に杉本博司の文楽の番組が放送。 こういう並び方で私の記憶は納まっていたのだ。 今朝、2009年の手帳を見ていて、母が死んだのは2009年12月22日だということに気がつき、クロニクルの混乱(アナクロ)を知って愕然とした。「本当の」正しい時系列はどうなっているか、ノートや手帳をひっくり返してじっくり探ってみた。 2009年12月に母の死→2010年1月4日に入院して7日にがんの手術を私は受けた→恢復順調で、8月にはS先生とともにタイ、チェンマイへ行く→秋、美術番組の立ち上げに力を注ぐ→2011年3月11日、上野の画商を取材している最中に東北大震災発生→福島原発の問題意識から6月に大江―大石対談を実施→7月3日に大江・大石対談をベースとしたETV特集を放送→本公演は無理かと思われた杉本文楽の横浜公演が8月中旬に開かれた→10月に「杉本文楽」をETV特集として放送。 母は3年前に昇天していたのだが、私のなかではまだつい最近のものとして記憶されていることが混乱の原因だ。母の死が実際の時間よりも近いところに私は置いていた。なぜそんな倒錯をしたのか。 母の容態が悪化して弟の家を出て東海大学病院に入院した2009年10月から最後の3か月のことはなまなましく記憶している。と同時に忘却しているものもある。意識的に忘れようとしたのだ。やさしく穏やかであった母が病のため猛々しくなって狡い表情に変わっていくことが耐えられなかった。そういう負の母を見るのが苦痛だったから、忘れようとしたらしい。 レベッカ・ブラウンの『家庭の医学』を読んだ。彼女の母の死をめぐっての物語。「死んでいくプロセス」を描いたノンフィクションである。兄、姉、レベッカの3人兄妹の母はひとりで北部の田舎町に住んでいたのだが、体の不調を感じてレベッカをロサンジェルスから呼びよせた場面から物語は始まる。 夫と離別し、3人の子供をひとりで養ってきた気丈でしっかりものの母が次第に弱っていき、介護の手を借りていくさまをレベッカは冷静に見守りながら、ともすれば堰を切って迸り出そうな母への愛情を必死でこらえながら、筆をレベッカは進めている。 夢中で読みながら、私は母の闘病の3か月間のことを思い出した。4人部屋の窓際のベッドに寝ていた母は横浜の新開地の風景を見ながら、北陸の雨と雪の多い(日ごろはうっとおしいと疎んじていた)町を恋しがっていた。他国の病院では聖書と短歌だけが暮らしのハリとなった。肺がんが脳に転移して余命半年しかないという事実を知らされず、退院後のホスピスでの暮らしを案じながらも楽しみにしていた。本当のことを告げるべきか迷ったが、結局は最後まで明かすことはなかった。母は空虚な希望を持ったまま最期をむかえた。 しっかりものとして生きてきたレベッカの母ですら、最後は幻聴幻視が始まり子供たちにすがって頼ろうとする。だが、その行為をレベッカは否定することなく自然のなりゆきとあたたかく受け入れる。レベッカの包容力に比べて私はなんと狭量であったか。私はこの世から次第に遠ざかってあの世へ移行しつつある母の「異様なプロセス」を許すことができなかった。母の死が長くないうちに来てほしいと願う自分があることを知ってぞっとした。 7月、祇園祭の頃に京都の大学での仕事を終えて、敦賀の実家に寄ったときはいつも京菓子の水無月を買った。大津生まれの母の好物だった。「これを食べる頃になると、平野神社の宵宮を思い出すなあ」とほっこり語っていた母を、今朝、私は白々明けのなかで思い出していた。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2012-07-23 16:32
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