ついり(梅雨入り)
静岡を越えて遠州平野を新幹線で通過している。田んぼの苗が小雨を浴びて青々と茂っている。ついりを果たした本州。数日前には季節外れの台風4号が襲来して大騒ぎとなったが、まだその余燼がくすぶるなか、次の台風5号が熱帯低気圧に変わって押し寄せている。とにかく、日本列島水浸し。
京都へ向かっている。6月の授業は2日間。その間に、映像編集の意味を教え、実際のモンタージュを学生たちに実行してもらう。さて、5月に開始した「取材」は3つのチームともうまくいったのだろうか。
昨日は近世の名画をめぐるドキュメントの5回目の試写が青山であった。ディレクターは大ベテランで、経験豊かな海千山千の御仁と聞かされていたが、今回の取材ははっきりいって成功しているとはいえない。取材がほとんど「フィラー」なのだ。
フィラーとは新聞雑誌の活字の世界でいえば「埋め草」。あまったスペースにはめこむような記事のことを埋め草と呼び、それらは記事として情報性、時事性などの意義など期待されない。あり合わせの、絵葉書やカレンダーのような、ただ美しいとか珍しいとかだけが特徴の映像を指す。天気予報のバックに流れる映像などがその一例。そこに映っているものがメッセージもしくは意味をもつという映像でなく、何かの情報(例えば天気予報、イベント情報、街角情報など)の「壁紙」のようなものを指す。わざわざ現地まで出向かないと撮影できないという意味性のある映像でなく、ロンドンブリッジとテームズ川、イングランドの森といった名所旧跡のご当地自慢映像でしかないような月並みな映像ばかりが並んでいる。
取材が甘い、ときつく叱った。いったん編集を中断させて、最初からもういちどつなぎ直したらどうかと提案したのが10日ほど前のことだった。今回は、そのやり直しバージョンの第1回試写だった。
結果は、ぎりぎり合格点。めっぽう面白いわけではないが、絵の魅力が一応描けていると判断し、最終バージョンを目指して、最後の編集作業にとりかかってほしいとだけ、そのベテランディレクターに伝えた。
ドキュメンタリーというのは難しいものだ。取材するテーマというものは生き物のようなものでじっとしていてくれない。いくつも姿を変える。だから一面的にしか取材していないと、その主題そのものから遠く離れたものになるということは少なからず起こる。
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