平和アーカイブス
NHKは、原爆の惨禍と平和の大切さを描くテレビ・ラジオ番組合わせて160本を「平和アーカイブス」として公開している。「アーカイブス」事業の柱は番組公開ライブラリーで、2005年から行われている。全国のNHKの放送局に行けば、およそ100本の核・平和に関するテレビ番組を見ることができるのだ。被爆国の公共放送として、平和を発信するのは大切な使命と考え、とりわけ若い世代に平和について考えるきっかけになってほしいとこの制度が出来た(そうだ)。
ライブラリーとして選出されたテレビ番組は95本ある。NHK本部と地方の放送局が60年にわたって作り続けてきた作品群で、うち59本はNHK広島が担当している。ひとつのローカル放送局がこれほど重要なテーマを長年にわたって作り続けてきたということは世界でも稀なケースではないだろうか。
私の作品が4本も入っている。少し誇らしい。
1986年に長崎局に在籍していたときに制作したNHK特集「黒い雨」。長崎局が広島局と合同で取材、編集した。後にフクシマ汚染地図で活躍する岡野真治博士に長崎の黒い雨の残留線量を測定してもらったことが思い出深い。
1992年に広島局へ単身赴任した。被爆50年にあたる1995年までの3年間、夢中で核・平和についての番組を作り続けた。そのときの3つの作品が、ライブラリーに入っている。
1993年、NHKスペシャル「ヒロシマに一番電車が走った」。55分の番組でうち30分はアニメーション。原爆のことを若い世代に伝えたいので、この手法を取り込んだ。
1994年、NHKスペシャル「永遠の祈り」。原民喜の一族の悲劇を描いた。民喜が作詩した「永遠のみどり」を加藤登紀子さんに歌ってもらった。
同じく94年、森滝一郎さんの死去を記念してETV特集「ヒロシマの心忘るまじ」を作った。
被爆50年の「前夜」。本当によく働いた。でも、1993年の9月3日に父は死んだのだ。その記憶が私のなかから抜け落ちがちだ。その年の初めから父は入退院を繰り返した。金沢の大学病院まで広島からは遠かった。なかなか見舞うことができなかった。夏の特番に、私は追われた。夏の戦争ジャーナリズムが終わった頃、父は逝った。あの頃、父の看病に向かうことが、どんなに困難か。その年齢に達しない者には分からなかった。悪罵はあまんじて受けた。弁解しても仕方がない。
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