人生をカット
映像の編集をカッテイングという。実に苦しいが、同時に楽しい作業でもある。
黒沢明も自分は編集するために、映画を撮影するのだと言い切るほどだ。この世に在るものはすべて不安定であり不揃いなものばかり。正3角形などという美しいものは観念のなかにしかなく実在しない。この場合の正3角形の観念をイデアと呼び、実際に現実にある不揃いの3角形のモノを形而下としておく。
映像作品の場合、実際に撮影してきたものをラッシュ(形而下)と呼ぶ。撮影してきた順番にラッシュを試写して見ても、その映像の意味は簡単に分からない。撮影したときに、撮影者はある意図(イデア)をもって撮影していたから、その意図を意識して映像を読まないと、他者は理解できないのだ。そこで編集という作業が登場する。撮影者の意図にそって映像を脈絡づけた映像に並べ替える。意図の実現だけでなく、映像のもっとも美しい形を目指して長さをそろえて(カット)いく。つまり、形而下のラッシュをエディット(並べ替え)カット(形をそろえ)して、理想(イデア)の映像に作り上げる。天地創造を司る神のような高揚を、編集するときに味わうのだ。
生きている現実は無駄なこと余分なことが、船に張り付く牡蠣殻のようにある。だが、編集された映像は無駄なものをいっさいカットした純粋なイデアだから美しく心地よい。
毎日が退屈で無神経な出来事ばかりの人生ならば、いっそ編集(カット)することができたらどんなに楽しいか。
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