ヒカリさん
明け方、不思議な夢を見た。
ヒカリさんから連絡が入って、会いたいという。
珍しいなあ、というかヒカリさんからの直接連絡なんてあるとは思えないというのが正直な感想が頭を過ぎるが、それでもヒカリさんからの連絡に浮き浮きした気分となる。
昨夜、寝しなに岩波「図書5月号」に連載の大江さんのエッセー「伊丹十三の声」を読んでいたせいだろうか。久しぶりにヒカリさんの夢を見たのだ。ヒカリさんとは、1994年ノーベル賞受賞式出席の際に数日間行動を共にしたことがある。ヒカリさんが「海」という曲を作り上げる過程を密着取材した。そのときヒカリさん独特のユーモアと知性に触れた。寡黙だが、時折話をするとき、細く長い指がひらひら揺れることが心に残った。
ヒカリさんはある隠れ家に潜んでいた。ヒカリさんに会うと、関西の被爆者団体事務所まで連れて行ってほしいという。このままでは日本は核に汚染されて駄目になってしまう。自分は被爆者だから(実際にはそんなことはない。あくまで夢のなかの出来事)、事務所まで出向いて、そのことを表明したい。そうすれば事態が動き出すというのだ。両親には内緒にしたいから、私に同行してほしいという。そういう役割として選んでくれたことが私には嬉しかった。ヒカリさんの決意に感動した私は、喜んでと声をかけたあと、自宅の寝室に引き返して、毛布とイギリス製の古いトレンチコートをかかえてヒカリさんの隠れ家に戻って来る。薄着のヒカリさんにコートを羽織らせ、毛布で体を包む。正体を分からなくして、私たちは夜行列車に乗り込んだ。
順調に運行して、朝早く大阪に着いた。
団体の事務所に行って、ヒカリさんは表明の手続きをとる。その頃になるとマスコミが押しかけてきた。その騒ぎをよそに、ヒカリさんは淡々と自分の意見を述べる。私ともう一人の支援者がヒカリさんのそばに立ってガードする。その支援する人物とはオーエパパとそっくりの顔をしているのだが、同一人物ではない。
東京のお宅に一応連絡をいれましょうかと、私が声をかけると、その支援者は「それは必要ないでしょう。オーエさんはヒカリさんの気持ちを分かっていると思いますよ」といって、少年になったヒカリさんを毛布でくるんでぐっと胸に抱き寄せる。
抱かれたヒカリ少年は、抱いているオーエさんとそっくりな顔をしているので、驚く私。
――夢のなかの出来事。だが目が覚めてからもしばらくの間、何か心が弾むようなものが身内に残っていた。
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