ずっと大磯
連休の2日目の5月3日から大磯へこもった。家族はみなそれぞれの予定があるということで自主活動の黄金週間となる。家人は友達と同一行動で関東近郊の小さな旅、娘は高校時代の家庭教師だった人のお墓参りを兼ねて大磯1泊。息子は仙台あたりで取材をしているとかボランティアを手伝っているとかで消息ははっきりしない。とにかく子供が幼かった頃の黄金週間とはまったく違って、それぞれバラバラのライフスタイル。これは当然のことだ。息子も娘も就職し、独立して家を出て行ったのだ。今は、近くに住んでいるとはいえ、息子、娘の暮らしはそれぞれ別世帯なのだ。行動がちりぢりなのも不思議でない。私はといえば、大磯でひとりだけのホリディ。タラリ。
2日に5月の異常豪雨が日本列島を襲った。5月の降雨記録としては過去最高をマークするほどの雨量があったのだ。東日本ではさらに最悪の結果が起きたようだが、南関東も例外でない。神奈川県も箱根から湘南にかけて大雨が降った。大磯はそのど真ん中にあった。その夜、大磯の家にいたのは娘だけ。そのすさまじい雨脚にすっかりびびった。あちこちに不具合が見つかった。雨どいだけでなく、雨が激しく暮らしを破壊するごとく襲って来る。自然災害の恐ろしさの一部でも娘は初めて味わったのだろう。以降、彼女の持家に関する言説がおとなしくなった。よほど、この夜の雨に懲りたにちがいない。だが娘は一晩中雨と戦った。とりあえず、大雨に立ち向かったことを褒めてやりたい。
雨があがり澄み切った大気の5月3日になって、私は大磯へ戻った。前日からの娘に加えて家人も義弟も集まったので、3日分ぐらいの調理をすませて都内へ家人は夕方帰って行った。娘も義弟も帰った。紅葉山の広い家にひとりで夜を過ごす。真夜中、トイレに立って、向いの山の峰越しに春の星座がうっすらと乳色に光っていた。
3日、4日。まる2日間。誰とも話さず、テレビも出来るだけオフにして過ごした。自堕落な生活を続けた。眠りたいときに眠り、食べたいときに食べて、脱プンをした。一日中パジャマ。ソファにごろごろ転がり、ジャンル、作者かまわず濫読読書。小説であれ、エッセーであれ、戯曲であれ、ルポルタージュであれ、目に入ってくる書物をあたりかまわず読み散らした。もっとも心に残ったのは、『回想 小林勇』とレベッカ・ブラウンの『処方箋』。三木清の評伝「帝国の哲学」は思いのほかすらすら読めた。5年前購入したときはチンプンカンプンだったのだが。
意外だったのは、昔よく読んだ天野忠の晩年のエッセーはまったく受け付けなかった。目がかすみ、足は思うように動かず、古い友はだんだん減っていく晩年の苦渋に満ちた天野の小さな世界。とても正視できるものでない。じゅつないこっちゃ。読もうと思っても1頁もいかないうちに、天野の姿が己が老後と重なる。
別の文庫本で、城山三郎が、天野の詩はあたたかい冷やかさがあると指摘していて、感心した。
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