卒業
2,3日前の朝日新聞で、大江光さんが作曲を再開し6月にコンサートを開く予定と、大江さんが書いていた。
私にとって大江さんという存在はとてつもなく大きい。私の映像人生の大半を占める。
だから、大江さんについて書こうと思うと目が眩む。まだ覚悟と準備ができていない。
いつか、私なりに大江健三郎像をきちんと作り上げねばならないと思うのだが、道は
遥かだ。
大きな心構えには立たないが、スケッチのようにして、大江さんのことを留めておきたいと思う気持ちがある。
大江さんの数少ない詩の作品「卒業」について。 光さんの曲「卒業」に、かつて
大江さんがこんな詩をつけたことがある。
今日で終わりということ 不思議な気がするね 不思議さ
風が吹いてる コブシがゆれてる 卒業だ さよなら
いつかふたりが会ったら ぼくだとわかるかな きみだと
この詩について大江さんは、遠くない日、自分がひとり死んでゆく日、光さんに別れを
告げている情景だと記している。死んでゆくことを恐れたり悲しんだりするより、不思議な気がするだろうと大江さんは、光さんに呼びかける。そして、この世から去って卒業してしまうと、〈こことは違う場所〉に、魂はゆくのではないだろうかと大江さんは想像する。
そこへ、後から光さんも魂となってやってくる。
《そこに魂として、自分がいる。それから、やがて光も、魂としてそこにやってきている。
しかし、僕も光も、この世界の肉体からはすっかり解きはなたれているのだから、たとえば、風と風が木立の中で行きあったとして、相手のことをそれと認める、ということはないはずと感じられるように、僕の詩のしめくくりの、次の一節のとおりじゃないだろうか、と思うのですね》
いつかふたりが会ったら
ぼくだとわかるかな きみだと
風のような大江さんの魂と光さんの魂が早春の林の中で、交差する。互いに見知らぬ同士のようにすれ違いながら。一方、ふと懐かしい思いにもとらわれる…。
これほど、美しいイメージを私は他には知らない。
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