イノシシが
久しぶりにお休みをもらった。
ゆっくり大磯へ帰った。相模川の鉄橋を渡るとき車窓から富士山がくっきり見えた。春の陽射しがまぶしい。だが、汽車から降りてみると風は冷たい。まだ春とはいえない寒さが大気のなかにある。
戸板康二の『句会であった人』をのんびり読んだ。クボマンにつながる人脈だ。川口松太郎、小島政次郎、安住敦らの素顔がほっこりと描かれている。弛緩して、気持ちを洗濯するにはうってつけの本だ。昼過ぎ、喉が渇いて台所を探したら、隅に「酔心」の5合瓶があった。4分の一ほど残っている。冷蔵庫にはツマミになるようなものは見当たらないから、冷のまま飲んだ。
5時過ぎ、戸締りをして家を出た。夕日が向山を照らし出してきれいだ。2つの鞄をぶらぶら下げながらツヴァイク道に向かう。
道の入り口に、「イノシシ注意」の看板が立ててある。以前より警告の度合いが進んでいる。
山道の脇にムラサキハナナが可憐な花を咲かせていた。
麓まで行くと、建築士のHさんと出会う。大きな荷物を両脇にかかえて、ゆっくり登ってきた。お久しぶりですと挨拶を交わして、近況報告しあう。
分かれしな、Hさんが遠くを見ながら、「あれ、置物かしら」と呟く。麓に広がる草わらのほうに目をやると、イノシシが佇立していた。
じっと、こちらを見ている。が彫像のようで恐怖心はおきない。
Hさんも呆れた様子で、「ずいぶん近いところにいるのねえ」
しばらくすると、イノシシは向きを変えてとぼとぼと山道を上がっていく。やがて、林のなかに消えた。
なんだか、夢を見ているような気分。夕日が足早にかげっていく。
Hさんと別れて、イノシシが消えた林のほうへ、そっと近づいてみた。何の物音もしない。
もっと近づいて、イノシシを挑発しようかとも思ったが、黄昏時では危険かと思い直して、本道にもどる。
ツヴァイク道を通い始めて15年になるが、獣に出会ったのは初めての出来事だった。Hさんの話によれば、先年、イノシシを飼っていた住民が引っ越して出ていくときに放置したのが野生化したということだが、無責任な飼い主もいるものだ。
山影はすっかりくろずんで、カラスの鳴き声も絶えていた。
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