波郷の句にひかれて
石田波郷の名前は、むろん前から知っている。だが、あらためて波郷句に正面からむかうことになった。
泉への道後れゆく安けさよ
結核の治療を終えた波郷が、久しぶりのピクニックに出たときの句である。波郷は終生肺病に追われた。清瀬の療養所で始めた句を通しての交わりは広がりをもち、幾人かの俳人と小説家を生み出すことになる。結城昌治のみならず、直接ではないが、藤沢周平にも影響を与えた。病者たちの労作は療養句というジャンルとなっていく。
実は、今、波郷の「江東歳時記」という50年ほど前に書かれた新聞のコラムを利用して番組を作っている。5月にオープンとなるスカイツリーの関連番組だ。波郷が歩き回って書いたエッセーの舞台は、スカイツリーのお膝元にあたるのだ。半世紀前の現地の様子を波郷は丁寧に愛おしげに綴っている。当時、彼は砂町に住んでいたのだ。四方を運河に囲まれた埋立地で、地方からの人が多く住む庶民の町だった。空襲の跡もあちこちにあった。
秋草や焼け跡は川また運河
そういう江東の地を波郷は歩き回って文章をものするだけでなく、趣味のカメラで風景を切り取った。ときには、小学生になったばかりの長男とその妹の二人の子を連れていった。
長男の修大さんは、「(カメラを持って)やがて焼け跡をかけまわる私たち兄妹のあとを、ゆっくりゆっくり歩いていた父を思い出していた」と回想している。
病む身来て五月の廃墟風遊ぶ
波郷には終生病がついてまわった。享年も50を少し超えただけ。早い死であった。
その波郷ゆかりの地を、モデルの押切もえさんと5回にわたって歩く紀行番組。放送は五月。これを機に、波郷句を読破しようと思う。
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