2つの映画
先日、関川秀雄監督の映画「ひろしま」を鑑賞して、ずっと引っかかるものを感じている。
なぜ、この映画は公式記録から抜け落ちて、忘れ去られた映画になったのであろうか。これは独立プロの自主映画だったから、大手5社などの圧力もあったのではないだろうかというような理由が喋喋されてもいたが、どうもそれは真実ではないようだ。
というのは、同じ独立プロで前年に新藤兼人監督「原爆の子」があるが、これも同じ製作スキームで作られたが、自主上映などを続けて巡演し、きちんと映画史のなかでも位置づけられている。配給も北星映画と同じで、いささかの興行面での不利益はあったかもしれないが、抹殺や黙殺などない。だから、「ひろしま」が忘れられたのは別の理由だと思う。
実は、両者は同じ題材から映画を作っている。長田新編「原爆の子」。これは広島の被爆した子供たちが境涯を作文したもののアンソロジー。ここにあるエピソードを利用して、映画「原爆の子」と「ひろしま」が生まれた。
ほぼ同じ頃に企画が進行したようだ。新藤によれば、「ひろしま」製作を支援していた日教組の幹部が来社して、新藤の映画を断念するよう要請、説得をしたという。新藤が拒否すると、幹部は労組の者とも思えない罵詈を投げつけたと、新藤は書いている。両者の間に、かなりの緊張があったと推測できる。後に、日教組は新藤の「原爆の子」の出来が気に入らなくて、新たに関川の作品を作ることを目指したという伝説が生まれるが、前述した新藤、日教組幹部の決裂の顛末がオーバーに伝えられたのではないだろうか。
新藤映画は、原爆投下の数年後、生活を破壊され健康を脅かされている被爆者の姿を中心に描いている。関川映画は、原爆を搭載したエノラゲイ号がテニアンの基地を飛び立つところから始まって、原爆が投下されて、その威力で市民が虐殺されていく様子を描くことに主眼を置いている。原爆の悲惨に関していえば、関川映画のほうが迫真的であるが、ドラマとしては単調な気がする。新藤映画は、「舞踏会の手帳」形式の、ある意味で叙情的な物語。原爆の直接威力を描くことよりも後遺症、暮らしの破壊をじわりと描いて、悲劇性を浮き彫りにしている。つまり、ピカドンの殺傷力、残酷性など威力は関川映画のほうが派手だ。映画の見世物性においてはこちらに軍配があがる。にもかかわらず、映画として記録に残らなかったのはなぜか。
この映画のスポンサーが労組であるという理由だろうか、それとも反米感情が露わであることだろうか。アメリカによる妨害であれば、むしろ新藤作品「原爆の子」が欧州のコンクールに出品されたときに、かなり執拗なことがあったと言われる。少なくとも、国際社会でまだヒロシマが認知されない1953年段階では、両者ともアメリカにとって喉に刺さった小骨であったことはちがいない。さもなくば映画の技術的なことなどが関わっているのだろうか。性急な結論を出さず、もう少し調べてみよう。
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